平日日記

foujita2005-08-22


夏休み明けだというのに朝からとっても眠い。なぜこんなにも眠いのだろうか、それは寝ていないからだ。早くに外出してコーヒーを飲む。急に思い立って山田稔『北園町九十三番地』を再読。冒頭の京都から奈良へ通う若き山田稔のくだりでじんわりと先月の旅行のことを思い出していい気分。なんとか無事に一日が終わり、ほっと丸ビルに寄り道。ユーハイムで明日の朝食のパンを買う。丸善に寄ってつい長居。あれこれ手に取っては「図書館、図書館」と心のなかで呪文のように唱える。買い物は岩波文庫の新刊、三宅周太郎文楽の研究』のみ。近所の食料品店ではズラッと並ぶワインを眺めてうっとり、またもやつい長居。帰宅すると、戸板康二『素顔の演劇人』が届いていた。夕食はみょうががたっぷり乗った冷奴。みょうががたくさんの冷奴、現在これ以上においしいものは他に思いつかない。ほどなくして、あきつ書店から宅急便。「慶應倶楽部」を初めて見た。昭和15年戸板康二、「歌舞伎語彙抄」は最終回なり。内田光子さんのシューベルト、D.958 を聴きながら床に就く。まだ11時前。 *1

大磯から東京へ通ふ汽車の中の往復三時間といふものを、毎日もて余して、岩波文庫のヘンリイライクロフトの私記といふものを愛読し、美しいイギリスの田園やなつかしい煤煙のロンドンを思ひだしたりしながら、これが本格の随筆といふものであらうと思つた。あの本のなかに「――この地上を暗くする罪悪悪行の大部分は心を平静に保つことの出来ない人達から生れるものである。そして人類を破滅から救ふ福祉の大部分は思慮深い静穏な生活から来るものである。日を追うて世界は騒がしくなつて行くが、人は知らず自分はこの高まり行く喧噪の中に身を投じまい。――」といふ一節があるが、随筆はさういふ心境から生れたものであらねばならない。そこにはゆたかな空想や思想があり、美しい詩も存在してゐた。比類のない卓越した感覚や見解が示され、深い含蓄のある知識が語られているのであつた。

内田誠「同人雑記」より - 雑誌「雑談」創刊号(昭和21年5月発行)】

*1:追記:夏休みが終わったのを機に心機一転、この週より「日用帳」は、平日寄り道日記+気が向いたら週末メモ、という形式にしておりますが、さて、いつまで続くことやら。