夏休み仙台ピクニック

foujita2005-08-19


せっかくの夏休みなので、えいっとふだんなかなか足の向かないところに遠出するかなと、東京駅から新幹線にのってスイスーイと仙台へ出かけた。これまで東北方面にはとんと縁がなくて、群馬より北方向へ足を踏み入れることすら今回が初めて。人生初の東北! と、先月の人生初の阪神電車のときとおんなじように車窓だけでワクワク、となるはずが、車窓を眺める間もなく新幹線はあっという間に仙台駅に到着、本当にあっけないくらいにあっという間に仙台に着いてしまった。


仙台は前々からぜひとも行かねばならぬ懸案の町だった。なにゆえ仙台に出かけねばならなかったのかというと、その理由はいつもながらにあまりにも極私的。

まず、宮城県美術館に収められている洲之内徹コレクションをぜひとも見物したかった。洲之内ファンにとって仙台はそれだけで出かける価値がある。さらに! 仙台は戸板康二の祖父母の郷里であり、その菩提寺も仙台にあるのだという。戸板さんのお父さんは東京の下町生まれだったけどその両親は仙台の人だった。東京山の手の子、戸板康二のルーツは実は仙台ということになる。そんなわけで、わが戸板康二道はじまって以来、仙台に行きたいと思い続けること幾年月であった。洲之内徹のコレクションを見られる上に戸板康二のルーツ体験をすることができる、わたしにとって仙台という町は「一粒で二度おいしい」なのだった。

のんびりお散歩して気分転換というのが第一で、残暑でお疲れ気味だしと、もともと観光に邁進という気分ではなかった。

今回は初めての仙台だし、前々から行きたかったところに確実に行くということを最優先に、午前中はじっくり宮城県美術館、昼下がりは戸板康二菩提寺輪王寺でぼんやりというダンドリのみ、まっさきに決まった。

で、はじめての町に出かける度にまず思うことは、しょうこりもないけれども、古本屋さんに行ってみたい! ということ。仙台でもこの点はまったく同じ、のみならず、仙台の古本屋というと、新・読前読後(id:kanetaku)の金子さんのサイト、本読みの快楽(http://www2u.biglobe.ne.jp/~kinko/index1.htm)でたびたび語られており、わたしのなかでは長年の夢となっていた。と言いつつ、店名等の記憶はあいまいで、金子さんが何度か仙台の古本屋について言及していて、拝見するたびにひたすらうらやましかったという記憶がうっすら残っていたくらい。これはぜひとも金子さんに要確認だーとメラメラと燃えたところで、折も折、つい先日、三津五郎の『伊勢音頭』見物の際に歌舞伎座で金子さんにお目にかかったとき、仙台の古本屋についておたずねすることができた。で、金子さんがおっしゃることには…、学生時代にアルバイトをしていた「萬葉堂書店鉤取店」はとにかくスゴい古本屋なので一度ぜひとも見てもらいたいものだ、しかし観光旅行で訪れるには場所が不便なのであまりおすすめはできない、ほかにもいい古本屋は何軒かある(トいくつか教えていただいたあとで)、でもやっぱり萬葉堂はスゴいんですよねえ(ト最後にしみじみ語る)、とのこと。

(追記:金子さんの学生時代のアルバイト先は「萬葉堂鉤取店」ではなくて「萬葉堂泉店」でした。泉店の規模は鉤取店の三分の一とのこと、三分の一でもかなりの大規模なので、「鉤取店」のスゴさは推して知るべし。萬葉堂の姉妹店の「愛子開成堂書店」もかなりよさそう。こちらの規模は鉤取店の二分の一とのことで、思いっきり大規模だ−。次回の仙台行きのときに行きたいなあと夢が広がる。)

うーむ、金子さんの「萬葉堂はスゴい」という言葉がベタリと頭に貼りついて離れない。場所が不便という時間的ロスもなんのその、金子さんが止めるのも聞かず(止めてはいなかったけど)、午前中に宮城県美術館http://www.pref.miyagi.jp/bijyutu/museum/)、そのあとに戸板康二菩提寺輪王寺http://www.rinno-ji.or.jp/index.shtml)、以上わたくし長年の懸案2点を済ませて、あとは心置きなくのんびりと萬要堂で本さがし、で日が暮れる。と、かのように仙台ピクニックのコースが決まったのだった。


前置きが異常に長くなってしまった。東京駅からスイスーイと新幹線で仙台にたどりついて、イソイソと美術館へ向かうべくバス乗場へ向かう、その前に、駅構内で意気揚々と駅弁を購入。本日の昼食はどこぞやのベンチで緑を愛でながら、ということに決め、ランチタイムが待ち遠しい! と、それだけでワクワクだった。思えば、駅弁を食べるのはずいぶんひさしぶり。女学生のときの遠足で軽井沢に出かけた帰りに食べた「峠の釜飯」以来なので10年以上のごぶさた。東海林さだおの本に登場するたびにあこがれていた駅弁、わたしの長年の夢のひとつに「電車のなかで駅弁を食べる」というのがある。あっという間の新幹線ではそれもままならないけれども、はじめての駅で駅弁を買っただけで、旅行気分が大いに盛り上がって、大はしゃぎ。と、駅弁ひとつでなにをそんなにはしゃいでいるのか自分でも謎なのだけれども。ちなみにわたしの買ったのは、その名もズバリ「政宗公ゆかりの仙台 伊達弁当」1000円也(参考:http://www.nre.co.jp/ekiben/sendai.htm)。その直球な名称に観光客気分はさらに盛り上がる、盛り上がる。おかずは仙台名物(鮭はらこ、牛タンや笹かまぼこ、小さいずんだもち等)の盛り合わせとなっていて、とってもおいしかった。

宮城県美術館はとてもすばらしい美術館で大満喫、これから先、何度でも行きたい美術館。戸板康二菩提寺というだけで何の予備知識もなく出かけた輪王寺はそれはそれは風光明媚だった。門前に立っただけで目の前の風格あふれる鬱蒼とした参道にワーオ! 木漏れ日の下、参道の砂利道を歩くだけで、うっすらと森林浴気分満喫。本堂の奥に入場料300円の庭園があって、この庭園がしみじみ見事で、ベンチに腰かけてぼーっといい気持ち、なかなか立ち去り難かった。実はその文章を注意深く検証すると自身への言及に意外なほど慎重な戸板さんがたぶん唯一輪王寺について書いているのが『旅の衣は』(http://www.ne.jp/asahi/toita/yasuji/a/137.html)の「仙台」の項。この文章によると、

    • 仙台は両親それぞれの父母の郷里
    • 小学校時代から仙台には度々旅行
    • 祖父の墓のある輪王寺は池のある名庭あり。いつぞや立ち寄るとなんとも見事な菖蒲の花ざかりだった
    • 母方の先祖のお寺は林子平の墓(龍雲院)、この志士は戸板家の何代か前の人と縁続きだったらしい

とのこと。と、今回はうっかり龍雲院には行き損ねてしまったけれども、輪王寺でのひとときはことのほか大満喫で、戸板さんの導きかなあと思った。いつになるかわからないけれども、戸板さんの導きふたたび、という感じで、次回の仙台ピクニックは、龍雲院(参考:http://homepage.mac.com/jsgarage/hachiman/PhotoAlbum89.html)に行くのがとってもたのしみ。

ずっとここにいたいという感じだったけど、えいっと輪王寺を去り、テクテクと地下鉄の駅に向かった。正確な駅名等は失念してしまったけど、地下鉄に乗ってとある駅で降りたあとバスにのって、とある停留所で下車。停留所のまん前に「萬葉堂書店鉤取店」はあった。店内に足を踏み入れ、レジ近くのロッカーに手荷物を預ける。ニューヨークのストランド・ブックストアのことを急に思い出し、旅先の古本屋さんというのは格別だなあとさっそくワクワクだった。そして、萬葉堂は噂どおりのスゴいお店だった。そのスゴさは行った人だけがわかる、といったところだろうか。まさしく何時間も滞在したくなる図書館状態。地下で書棚をめぐっていると、ゴロゴロと雨の音。地下室だと雷鳴と閃光の外がずっと遠くに感じる。こちらでもなかなか去りがたいところをえいっと外に出ると、シトシト雨降り。ほどなくしてやってきたバスは仙台駅行き、これ幸いと乗り込んで、駅前へと戻った。

日没前のひととき、通りがかりの喫茶店で「杜オリジナル」だったかな、コーヒーを飲んでのんびり。買ったばかりの本をあれこれ出して、にっこり。今日も帰りの荷物が重たくなってしまった。そんなこんなで、とっぷりと日が暮れた。美術館、お弁当、庭園、古本屋、コーヒーと、日頃の好きなもの盛り合わせの夏休みの一日はあっという間だった。

せっかくの仙台だったのに、町の全貌がつかめず、まさしくピンポイント式になってしまったのはちょっと残念だったかも。お昼の「伊達弁当」と夕食の牛タンで、今回は「食」に特化の仙台観光だった。牛タン屋も通りがかりのお店だったけど、たいへんおいしかった。そのお店が特別おいしいお店だったからか(そのわりに店内は閑散)、牛タンそのものがおいしいからなのかは謎。お土産に笹かまぼこを買って帰京。


洲之内コレクション

宮城県美術館の常設展はこれまでに訪れた美術館のうちでもトップクラスといってもいいくらいの充実度だった。広々とした館内で心ゆくまで満喫。入場料300円でコストパフォーマンス的にもバッチリ。展示の構成は、洲之内コレクションより15点を抜粋、明治・大正・昭和の洋画と続き、あとに海外の作品というふうに続く。とりわけ、松本竣介が充実しているのがとても嬉しかった。そのひとつひとつの展示がとても充実していて、個々にもすばらしい絵画が目白押し。おなじみの画家に対面して「あっ」と嬉しいこと多々ありで、さらに未知の画家でも「この絵、好きだな」というのが少なくなかった。

とにかくも、絵をみるたのしみを心ゆくまで満喫。洲之内コレクションの作品は、洲之内コーナーの15点だけでなく、そのあとに続く明治・大正・昭和の洋画の展示にも随時組み込まれている。この美術館が実にうまく洲之内コレクションを他の収蔵作品と調和させて提示しているのを目の当たりにして、美術館そのものにますます好感をもった。海外作品は、カンディンスキーの版画で始まり、そのあとバウハウスの展示が少し用意されていて、そのつながりがとてもよかった。「1920年代」ということを思わせてくれるようなかっこよさで、実に気が利いている。鎌倉の近代美術館のことをちょっと思い出した。併設の佐藤忠良記念館もよかった。広々した空間にぜいたくにその彫刻作品がたくさん展示してある。ところどころに添えられたデッサンも興味深かった。

おみやげにポストカード(1枚80円)を十数枚仕入れてご満悦。発色が美しい絵葉書に満足満足。洲之内コレクションは根こそぎ購入、あとは岸田劉生とクレーと松本竣介など。上の画像は、洲之内コレクションではない松本竣介、1937年作《郊外》。緑が実に美しいのだった。それにしてもすばらしい美術館だったなあと、ため息。ぜひともまた出かけたいものだ。

  • 図録『気まぐれ美術館 洲之内コレクション展』(茨城県立美術館、2005年)

おみやげコーナーでは、今年4月9日から6月5日まで茨城県立美術館で開催の「気まぐれ美術館展」の図録(1700円)も購入。開催を知ったときはすぐにでも行きたいッと狂喜乱舞だったけど、なんやかやで結局行き損ねてしまって、わたしの数多い悪癖のひとつ、「出不精」を呪ったものだった。けど、夏休みにこうして仙台ではじめて洲之内コレクションに対面、というなりゆきになったのもひとつの縁かなあとも思う。「気まぐれ美術館展」というと、2000年4月発行の三重県立美術館版の図録(http://www.museum.pref.mie.jp/miekenbi/event/catalogue/kimagure.htm)が手元にある。掲載作品は当然ほとんど同じだけど、茨城県立美術館版は作品解説のひとつひとつに洲之内との関連について几帳面に言及してあって、この先ますます洲之内読みがたのしみになってくる感じで、嬉しい仕上がりになっている。印刷もグッド。

宮城県美術館では去年秋に《気まぐれ美術館展》が開催されていたのが記憶に新しいけれども(こちらも出不精を発揮して行き損ねた。参照:id:kanetaku:20041002)、受付でその展覧会のポスターを無料でお分けしますとあって大喜び。おみやげを買ったあともいつまでもホクホクだった。ありがたく1枚ちょうだいした。麻生三郎の絵があしらってある。

宮城県美術館の刊行物としては、

という小冊子があって、こちらはたしか去年5月に、金子さんからちょうだいしていて(ありがたきことなり)、すでに入手済みだった。当時一緒にいただいたのが長谷川りん二郎の《猫》のポストカードで、すぐに嬉々と額に入れてわが書斎の片隅に飾って、現在もそのまま飾ってある。洲之内コレクションの他のポストカードはいずれ宮城県美術館を訪れたときに揃えたいなと当時思ったのだったけど、今回その夢がかなったわけで、感無量なのだった。


萬葉堂の午後

萬葉堂はたっぷり時間をとって、気力体力もとっておいて、満を持して訪れたいお店。いつまでも続く書棚をめぐって探検気分、ああ、たのしかった! 1階だけでも十分広いのに、地下にも書棚は続いて(降りる前に店員に一言お声をと貼紙)、地下に降りてその棚が目に飛び込んできた瞬間は「キャー!」だった。

1階での興奮は石川達三の文庫本が佃煮にするくらい売っていたこと。『心に残る人々』(文春文庫)など前々から欲しかったものを中心に選択、とても全部は買いきれないので選択に難儀、所有本リストをきちんとこしらえてから訪れるべきであった、とちょいと後悔だった。ここだけでなく、ふだん行きなれている古本屋さんではありえないような品揃えは、一度見ておく価値大いにありだった。

地下はますますわたくし好みの品揃えとなっていて、いわゆる茶色っぽい本がたくさん。地下に降りてまっさきに興奮したのが、古めの新書コーナー。ここで手に取ったのが、

 

昭和30年代前後の河出大好き、という感じで、安いとふらっと買ってしまうことが多い。河出ペーパーバックスを買ったのは今回が初めて。このシリーズでは、戸板康二著『松井須磨子』(文春文庫)の元版の『女優の愛と死』が昭和38年に刊行されている(今のところ未所持)。ビニールカバー付きの造本がなかなかいい感じなのだった。『名作365日』は表紙イラスト真鍋博で、装丁者としては原弘の名前がクレジットされている。タイトル通りに1日1篇ずつ、その日にちなむ文学作品が紹介されているというもの。池田弥三郎『私の食物誌』とか和多田勝『大阪三六五日事典』といった手持ちの本のことを思い出してニンマリ、日録形式の本大好きな身としてはたいへんそそられてしまった。あとがきをみると、昭和36年の一年間、東京新聞夕刊に連載していたのが元になっているのだそう。《連載中、戸板康二氏が「日本古書通信」の随筆で「この材料ははじめのうち、百回、二百回の辺までは、簡単だったろう。しかし六十五日分ぐらいは大変だったろうと察している」と書いてくださった時のうれしさは今だに忘れられません。》という一節があとがきにあるのを見つけたのは後日のこと。いかにも戸板さんの好きそうな本と思っていたから嬉しかった。仙台での味な買い物だった。槌田満文創元社を経て当時東京新聞文化部に勤務していた。ちなみに、戸板康二唯一の新聞小説が昭和34年から35年にかけて東京新聞夕刊に連載していた『松風の記憶』で、そのときの担当記者が槌田満文さん。

矢内原伊作は、戸板康二が戦前に寄稿していた串田孫一の同人誌「冬夏」を調べているときにぶちあたっている人物。図書館で本をいろいろ繰ったものだったけど、著書を買ったのは今回が初めて。「冬夏」調査も矢内原伊作調査もまだまだ中途なのだけれども。この河出新書カバーは井出尚によるデザイン。ちなみに戸板康二河出新書は計3冊、『若き女性への手紙』と同年の『劇場の青春』(http://www.ne.jp/asahi/toita/yasuji/a/025.html)は串田孫一の装丁なのだった。上記の日録ものとおんなじように、「インテリゲンチャによる女性向けの本」というのをそこはかとなく収集していて、その点でも嬉しい買い物だったし、河出のシリーズ内での戸板康二との関連、という点もたのしい買い物だった。インテリゲンチャによる女性向けの本というと、わたしにとって一番思い入れの深いのは、福田恆存 『私の幸福論』(ISBN:4480034161)かなと思うけれども、戸板康二暮しの手帖本、『歌舞伎ダイジェスト』や『歌舞伎への招待』もこの系譜に入るかと思う。


萬葉堂では買い物カゴ片手にほかにもちょこまかとたのしく、安い本をたくさん買った。ああ、たのしかった!