「栄養と料理」を買う、『道八芸談』を借りる

もっと寝ていたいのにまだ暗いのに目が覚めてしまった。しょうがないので置きっぱなしだった岡鬼太郎の『歌舞伎眼鏡』を拾い読み。いちばん最後のページにある『毛谷村』評の、岡さんがただ一言「結構」と書いているだけの、「三津五郎の斧右衛門、八重之助の忍び」の並びにグッとなる。なんでこんなにグッとくるのだろう。グッ、グッ、グッ……。と、それはさておき、このときの所演(昭和17年9月)はお園が梅玉で、六助が吉右衛門。前々からもろもろの劇評を読んで三代目梅玉という人もなかなか面白いような気がしていたのだった。『梅玉芸談』が欲しい。と、起き抜け早々本を欲しがっていたところで、ようやく外が明るくなってきたので活動を開始することにする。ひさしぶりの晴天で、必要以上に洗濯に邁進してしまい、今日も外出が遅くなり、あわてる。

昼休みは意気揚々と本屋さんへ。まっさきに「栄養と料理」の立ち読みを始めたら、とたんに欲しくなってしまい、今月も購入することに。コーヒーショップにかけこみ、ランランとページを繰る。眺めていてこんなにたのしい雑誌はそんなにはないような気がする。「栄養と料理」という質実剛健なタイトルもグッド。食に絡めた本・音楽・映画コーナーも、たまに無理にこじつけてあったりするのが散見されて毎回味わい深い。今月の映画は『チャーリーとチョコレート工場』だった。ぜひともスクリーンで見たいけど今回も見逃してしまいそう。思い立ったらすぐというわけで今日見に行くとするかな、いや今日は歌舞伎座の『河庄』を見たいのだ、と思っているうちに昼休みが終わる。

昼休みは「栄養と料理」に夢中になるあまり、ほかの本を見る時間がなかったので、帰りも本屋さんに寄るとしようとたのしみにしていたのだったが、日が暮れる頃にはひどく疲れてしまい、本屋どころか家に帰る気力すら起きない。歌舞伎座の幕見席に行く体力はもちろん残っていない。しかし、家には帰らねばならぬ。それに家に帰る前に今日が期限の本を返さねばならぬと、ヨロヨロとマロニエ通りを歩いて京橋図書館へ直進。無気力に閉館時間まで雑誌を眺めて帰宅。

帰宅後、雀右衛門の休演を知る。ああ……。力なく古本屋へ売りに行く本のピックアップを開始したら、「あれもこれも売り払ってしまえ!」ととたんにハイになる。一段落ついたところで売りに行く本の整理をしてみると、たまに面白い本があったりするから困ってしまうのだった。

坪内祐三が編集部にいた頃の「東京人」1990年5月号、《東京を読む》特集というのがあって、なぜこんなものが我が家にあるのか全然記憶にない。ペラペラとめくると、なかなかの充実度でやっぱり捨てがたいかもと思いつつ気まぐれに繰ってゆくと、神吉拓郎のインタヴュウが載っている。いつも思うのだけどしみじみ神吉拓郎は男前だなあと読み進めていくと、三國一朗編集長の朝日麦酒の PR 誌「ほろにが通信」のことにきちんと言及していて「おっ」だった。前々から神吉拓郎という人もなかなか面白いような気がしていたのだった。「東京やなぎ句会」人物誌追及は尽きないものがある。この「東京人」は手元においておくことにしよう。

寝床では図書館で借りたばかりの鴻池幸武編『道八芸談』を繰る。ちょこっと繰っただけでこの書物は借りるような本ではなく手元に置いておかねばならぬ本だということがすぐにわかる。次なる岩波文庫はぜひとも『道八芸談』を! と強く願う。解説がたのしみ、たのしみ。