みますやにて

朝の喫茶店で『三國一朗の人物誌』(毎日新聞社、昭和57年)をなんとはなしに開く。今夜の飲み会でお会いするちわみさんにお渡しすべく、「森茉莉」の項のコピーをとるために持参していたのであったが、ひさびさに気まぐれに繰り始めてみると、突然夢中。ちょうど1年前くらいに買った本で、そのときもとても面白く読んだし、それより以前、図書館で借りて卒読してこれはぜひとも買わねばと思った。と、何度も読んでいるはずなのに、そのたびにいつもランランと夢中。三國サンの文章には、『月の輪書林それから』で佐分利信の本棚を評した月の輪さんの言葉、《種々雑多、硬軟とりまぜの「読書家」の棚》といったようなものが通奏している。こういうのを「教養」というのだろう。

三國一朗の人物誌』は読み返すたびに「おっ」となるところが目白押し。学生時代に愛読して戦災で焼けてしまった杉山平一の詩集『夜学生』を購いに古書展に突進したところを「著者から頼まれたのです。譲ってくださいッ」と懇願され泣く泣く譲ってしまうところを福永武彦に目撃される三國さんに、大学の試験のときに串田孫一が試験監督しているのを目撃する三國さんと、「目撃する・される」の織り交ぜもいいなあ。極私的にも嬉しい箇所が少なくない。三國さんのお母さんの遺品にあったという佐野繁次郎装の『すまひといふく』、おんなじ本が祖母の遺品としてわたしの部屋の本棚にもある、というのが嬉しい。三國さんが住んでいたあたりは網野菊さんの本でおなじみの界隈で、わたしにとっても日頃のお気に入りのお散歩コースだというのも嬉しい、などなど。

朝日麦酒の PR 誌「ほろにが通信」の編集者のときに三國一朗が依頼したという奥野信太郎の「新宿飲み歩る記」というエッセイ、手持ちの奥野信太郎の本に入っていたかしら、近々確認したい。鴨居羊子の本が読みたくなったり、鴨居玲の作品にもっとじっくりと向き合いたいと思ったり、以前書棚にあったのに売ってしまった古谷綱正著『私だけの映画史』をもう一度取り戻したくなったり、などなど、いろいろとそそられてムズムズ。50年ぶりに大河内伝次郎のなにかの映画を見て、小学生のころは伝次郎に震えたけど、現在は伏見直江にふるえる、というくだりがいいなあと思った。わたしももっと伏見直江にふるえたい! ところで、コーヒー党の三國さんが谷川徹三にすすめられた「銀座のうまいコーヒーの店」ってどこだろう。とても気になる。

とかなんとか、今朝は『三國一朗の人物誌』再読に夢中になるあまりに、ビュトールの『心変わり』を読み進める時間がなくなってしまった。無念なり。


日没後、外堀通りをズンズンと歩いて、神田司町の居酒屋「みますや」にて飲み会。お会いするたびに「渡辺一夫は男前!」とか「エクニはシゲルに限る!」とか言い合っているちわみさんからの本日のいただきものは江國滋の本、『阿呆旅行』(新潮社、昭和54年)と『にっちもさっちも』(朝日文庫)の2冊なり。今回の飲み会の一番の収穫は念願のちわみさんの鉄道トークを拝聴できたこと。まったくの未読の宮脇俊三を読もうと思った。内田百間の『阿房列車』も実は未読、たのしみ、たのしみ。そのまえに江國滋の『阿呆旅行』を読むというのもオツなことであった。あとで『阿呆旅行』を開いたら、江國サンは熊本で百間先生の訃報に接し、北海道で桂文楽の訃報に接しているのだった。電車にのってどこかへ行こうと明日の鉄道旅行の夢が広がる。とかなんとか、鉄道のことばかりでなく、ちわみさんとは10代の頃(大昔)の「オリーブ」のことでも大いに盛り上がった。しかし、「オリーブ」連載の中沢新一の人生相談のことをちわみさんが覚えておられなかったことだけが、わたしはちょっとばかし不満!