二の酉

日没後、歌舞伎座の幕見席に向かって、走る。中村大改め初代中村鷹之資披露狂言を一応は見届けておきたいなあと思いつつ、早くも顔見世興行は最後の週に突入してしまった。富十郎と大ちゃんの自分内名舞台といえば、いつかの年の師走の国立劇場で見た『毛谷村』であった。そうそう、中村大初舞台の同月に見た吉右衛門の『幡随長兵衛』、絶品だったなあ、なつかしいなアといろいろと思い出して胸がいっぱい、とにかく走る、走る。と、なんとか開演時間には間に合ったものの、立ち見になると告げられたとたん、急に疲れてしまい、力が出ない。これでは階段をあがることすらできなさそう。スゴスゴと退散することにする。あまりの根性なしに自分でもびっくり。今月の芝居見物は明治節に『熊谷陣屋』と『浮かれ坊主』を見たっきりになってしまった。と、昼の部は遅刻のうえさらに早退、というやる気のないことを仕出かしてしまったことだし、とっくりと反省しないといけない。そうそう、今月の『熊谷陣屋』で気になったことをまだ調べていなかった。と、覇気ないまま、2005年のわが芝居見物は終了なのだった。どうなる来年。

トボトボと京橋図書館へ。「群像」2005年9月号が借りられて、やれ嬉しや。疲れたのでコーヒーを飲んでひと休み。借りたばかりの「群像」のお目当ては西村賢太作『どうで死ぬ身の一踊り』であった。さっそくグングンと読む。西村賢太の小説を読むのは今回で2度目、初めて読んだのはちょうど1年前のこと、藤沢清造がらみで教えていただいて、「文学界」掲載の『けがれなき酒のへど』を図書館の椅子で読んだのだった。藤沢清造全集全七巻は刊行されるのだろうか。

『どうで死ぬ身の一踊り』を読んだあと、「演芸画報」をコピーして綴じた「稽古歌舞伎会」の『熊谷陣屋』の記事のことを思い出し、イソイソと外に出た。帰宅後さっそくメラメラと読んで、『熊谷陣屋』のおさらいのようなものをする。