写真展、コーヒー、レコード屋

順調に早起き。今朝もゆるりと本を読むといたしましょうと、三國一朗の「イングリッシュ・アワー」の跡地のビルヂングに突進すると、朝のわが行きつけリストのひとつの、本日のお目当てのとある喫茶店はまだ開いていない様子。このお店の休業に遭遇するのははじめてだった。ずいぶんのんびりの仕事始めだなア、かくありたいものじゃと開店日を確認すべく歩をすすめると、旧年をもって閉店の貼り紙が目に飛び込んできた。ああ、なんということだろう。しばしよろけたあとで、「なぜだ!」(by 三越岡田茂)というような心境に。うーむ、新年早々、不意打ちであった。この喫茶店は、わたしが朝の読書時間の習慣をもつきっかけになったお店だった。昭和30年代の大映映画に出てきそうなインテリアがちょっとした旅行気分だった。このごろはたまにしか行くことがなかったけど、いつもコーヒーはおいしかった。

心にぽっかり大きな穴があきつつも、限られた朝の時間であるので気を取り直して、ほかのお店でコーヒーを飲む。昨夜に再読を始めた広津桃子の『石蕗の花 網野菊さんと私』をおしまいの一篇までクイクイと読む。網野菊さんもさることながら、広津和郎の『年月のあしおと』を読み返したくてたまらない。が、その前に、いつかの五反田古書展で仕入れた広津桃子さんの最初の著書『春の音』をいよいよ読むときがやってきたなと思うのだった。やっと機が熟して嬉しい。


帰りはイソイソと日比谷線に乗って、恵比寿へお出かけ。東京都写真美術館植田正治の展覧会の見物に出かけた。と、その前に、成城石井で黒糖きなこ飴(189円)を仕入れるのを忘れないわたしであった。

一度まとめて見てみたいと思っていた植田正治の写真展。コンパクトにシンプルに時系列に順路に沿って写真を見つめてゆくその時間がほんわかと満ち足りたひとときだった。1930年代に撮り始めた植田正治の写真は、終生そのスタイルをあまり変えることなく、つねにそこはかとなく1930年代に身につけたモダンさがカチッと根底にあって、つねに彼ならではの個性が小気味よくみなぎっている。佐藤春夫の「個性は常に新しい」という言葉を思い出した。人物が右側に座っていて、天井から目覚まし時計がぶらさがっていて、人物と並んで水差しやらの日用品が配置されているとあるポートレートが好きだなと思った。


機嫌よく美術館を出て、代官山経由で渋谷に向かってテクテクと夜道を歩いた。その途中、猿楽珈琲の前を通りかかった。あ、猿楽珈琲と、急にウキウキになって、突発的に店内に足を踏み入れた。このお店に足を踏み入れるのは実に数年ぶり。あいかわらずの薄暗い店内の素敵さにジーン、そして、あいかわらずのおいしいコーヒーににっこり、さらに変わることない居心地のよさにほんわか。遅くまで開いているのでかつてはよくここで本を読んだり、お勉強をしたり(…いったい、なんの勉強なんだか)をしていたものだった。テーブルの上の灯りが本読みにぴったりなのだ。なつかしいなア! と、十年前のわがお勉強タイムそのまんまの格好で、ノートを脇において、犬丸治さんの『天保十一年の忠臣蔵』をおしまいのページまで読んだ。ほんの偶然だったけど、舞台装置は完璧で、この本を締めくくるにふさわしい絶好の時間となった。次回の猿楽珈琲の時間がたのしみ。


機嫌よく、ジリジリと寒い夜道を渋谷まで歩いて、ここまで来たことだしと、タワーレコードへ。6階のクラシック売場に突進。足を踏み入れたら、ちょうどブラームス交響曲第3番の第1楽章が始まったところ。第1楽章、大好き。この演奏(確認したらテンシュテットだった)、なかなかいいぞとノリノリになって、棚を物色。早く買いたいと思っていたムターの新譜、モーツァルトの協奏曲2枚組の輸入盤が出ていたので嬉々と手に取る。山野楽器で買い損ねた、ウエストミンスタークララ・ハスキル3枚組とフェリアーのブラームスを順調に発見し、さらに機嫌がよくなる。そのあとも、あれこれ見てまわり、シンフォニーが最終楽章に入ったところでお会計。

機嫌よくズンズンと歩く。いつまでもどこまでも歩けそうだったけど、夜も更けたので、表参道から地下鉄に乗って帰宅。


寝床でさっそくハスキルスカルラッティを低音量で流して、さっそくシンシンと感激。広津桃子さんの文章を静かに読んでいるときとよく似た感激。