広津和郎『年月のあしおと』再読に燃えるあまりに睡眠時間がいつもよりもずっと短かかったものの、今日もなんなく早起き。
「続」に入る前にと講談社文芸文庫の巻末資料を眺めていたら、全集のうち2巻分の解説を野口冨士男が書いているとのことで「おっ」となる。もしやと思って本棚から野口冨士男著『文学とその周辺』を取り出してみると、思ったとおりにここにきちんと収録されていた。『文学とその周辺』を編集してくれた筑摩書房の編集者さんに感謝しないといけない。そのわが書棚の野口冨士男コーナーの近くに、『作家の対話 雑誌「風景」より』という本がひっそりとささっていた。ふと手にとると、広津和郎と高見順の「新春文芸夜話」と題された対談があって、「おっ」となる。この本のあとがきは「風景」初代編集長の野口冨士男。『年月のあしおと』の「続」に入る前にと、今朝のコーヒータイムは以上2冊、野口冨士男の『文学とその周辺』と「風景」のアンソロジー『作家の対話』を繰ることとする。本読みは野口冨士男を中心にまわっている。
広津柳浪・和郎父子にしばし夢中になったのとちょうど同じ時期に、野口冨士男を読むようになった。そして、雑誌「風景」に興味津々になるという流れがあった(自作の戸板サイトの当時の記録→ http://www.ne.jp/asahi/toita/yasuji/b/magazines/01.html)。あれから約3年が経過して、広津和郎の『年月のあしおと』を再読しみると、3年前に読んだときよりもますますおもしろくて、いてもたってもいられないのだけれども、そういう「文学」云々だけでなく、広津和郎の文章のあちらこちらが、新しい1年が始まったまなしに読むのにふさわしい記述、「倫理」とでもいおうか、読んでいてシャキッとなるところがたまらなく快感なのだった。今このタイミングで再読の機会を得たことを幸福に思う。そもそものきっかけは山田稔の『ああ、そうかね』であった。山田稔さんに感謝しないといけない。年末、京都に行けてよかった。
そんなこんなで、朝はコーヒーを片手にふらっと、野口冨士男の『文学とその周辺』と『作家の対話』をあちこち拾い読みする。中野重治と平野謙の「明治をふり返る」という対談もよかった。中野重治の『楽しき雑談』の続きを近いうちに入手したいものである。それから、平野謙いうところの、江戸時代からの「さむらい的儒教的な伝統」を脱した「ほんとうの素町人的な文学上の開花」の徳田秋声を読まねば、と思った。そうだ、野口冨士男の『徳田秋声伝』があるのだった。と、やっぱり、野口冨士男を中心に本読みが回っている。