加藤一雄に感激し、書泉の鉄道コーナーで興奮する。

本格的に早起きをして時間がたっぷり。喫茶店で本を読む。昨日寝る前に、ちょいと本棚を整理したら加藤一雄の『無名の南画家』が出てきた。なので、今日はこれを読むこととする。ズンズンと読んで、シンシンと感激。なんというか、ただ黙って読むだけである。もっと丁寧に読まねばと思いつつもズンズンと読了。ひとまず読了したところで、こうしてはいられないと、図書館に加藤一雄の著書、『蘆刈』(人文書院、1976年)と『京都画壇周辺』(用美社、1984年)、それと原章二著『加藤一雄の墓 アナクロニスムのポスト・モダン』(筑摩書房、1987年)を予約。


日中、『無名の南画家』のことを思って、ぼんやり。一日の活動に大いに支障をきたす。『無名の南画家』はみすず書房の「大人の本棚」にぴったりな本だと急に思いついて、机のなかに入れっぱなしの「大人の本棚」の刊行案内をつらつらと眺めると、野呂邦暢『愛についてのデッサン』の文字を発見して、「おっ」となる。ずっと読んでみたかったけど機会を逸していた本だ。見逃していたのはとんだドジだった。さっそく買いに行くとしようと、昼休み、本屋さんへ突進。が、「大人の本棚」コーナーには『愛についてのデッサン』が並んでいない。なぜだ! と思ったら、未刊であった(→ http://www.msz.co.jp/top/bookshelf/02.html)。なにをしているのだろう、わたしはと、よろけながら本屋さんを出る。「本の話」が置いてあったので,一応、もらっておくことにする。コーヒーショップでぼんやりと「本の話」を眺めるも、特になんということもない。こんなことをしている場合ではないと、『無名の南画家』をピンポイント式に読み返す。一刻も早く帰宅して、ハイドンを聴きたいなあと言いたいところだけど、むしろバッハのロ短調ミサを聴きたくて、たまらなくなった。なんか、気分はロ短調ミサだ。


日没後、神保町を通りかかる。先日人から借りた「旅」の宮脇俊三追悼号(2003年9月臨時増刊)の『宮脇俊三の世界』によると、書泉の鉄道本コーナーはそれはそれはすごいらしい。ということで、ほんの物見遊山気分で、書泉に行ってみることにする。鉄道コーナーは最上階の6階。エレベーターからの眺めにウキウキしながら鉄道コーナーに足を踏み入れたら、いきなり「うおー!」と大興奮。なんだかよくわからないけれども、これは本当にすごい! と、あちこち見て回って、大はしゃぎ。宮脇俊三の文庫本が全冊、面出しになっていて、ジーン。名鉄5500系のピンパッジにふと心惹かれ、すんでのところで買ってしまいそうになるが、なんとかこらえた。「日本の名随筆」の『駅』は宮脇俊三の編集、その目次が素敵だなあと思う(→ http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/zui-hon/tanpin/9931.htm)。本当はほかに行きたいところがあったのに、書泉に興奮しすぎて時間がなくなり、行き損ねる。なにをしているのだろう、わたしはと、ヨロヨロと帰宅。


帰宅後、家事その他を大いそぎでかたづけて、ミルクティを入れて、『無名の南画家』をはじめから読み直す。リヒテルのバッハの平均律を流した。祖母が他界してからというもの、急にお墓参りが趣味になってしまい、以来、世田谷線にひんぱんに乗るようになった。お墓参りのたびに、「フラウラ」というお店でお菓子を少し買うのが毎度のおたのしみ。と、このビスケット、とてもおいしいなあと一粒食べながら、『無名の南画家』を読んだ。