モーツァルト、アナトール・フランス、加藤一雄

ぐっすり眠ってさわやかに早起き。たまっていた家事をしながら、モーツァルト交響曲第38番《プラハ》を聴いた。お気に入りのアーノンクール盤。数年ぶりに聴いた第3楽章にウキウキ。ああ、ここにはこんなに素敵な音楽がひそんでいたのだなあと思う。どうもモーツァルトは第一楽章ばかりを強化という癖があるのであらためないといけない。あまりにまばゆくて切なくなってくるのがたまらない快感、というモーツァルト聴きの典型のような感じ。モーツァルトを聴いていつも思い出すのは、深沢七郎の『東京のプリンスたち』に登場する「苦痛に似た快感」という言葉だ。フィガロの全曲盤を急に聴きたくなってしまったけど、家事もそこそこにイソイソと身支度。身支度のときはこのところいつも、バッハの平均律リヒテル盤。今日からは第2巻を強化することとする。2巻目の前半のディスクを再生す。


朝の喫茶店では突発的に持参した、アナトール・フランス三好達治訳の『少年少女』(岩波文庫)。なんでもないような訳者あとがきが実にいいなあと静かに感激したあと、本文をゆっくりと気ままに読んでゆく。訳者あとがきで受けた感銘が全篇に通底していて、いいなあ、と思う。三好達治いうところの原文の「いうにいわれぬ品位」、その品位の高さと深さとが一緒になってしかも軽やかにふわっとしみこんでくる。おしまいのページでちょうど時間になって、パタンと本を閉じる。同じく三好達治の翻訳本の岩波文庫、フランシス・ジャムの『散文詩 夜の歌』の隣りに立てかけておきたい本。本棚の整理を進めなければとメラメラと思う。と、いつも同じことを思い続けてどのくらいになるのだろう。


帰りはテクテクと神保町を通り抜ける。何軒か立ち寄るも、特に買い物はせず。神保町を通り抜けて入手したのは「本の街」と「図書」の最新号のみ。

夜、ほうじ茶を飲みながら、あれこれ本を繰る。「本の街」に思いがけず戸板康二が登場する一文があり、「図書」では数々の魅惑的岩波文庫の刊行を知り、なにかと胸を躍らす。「sumus」のバックナンバーで山本善行さんの文章を順繰りにたどったりする。加藤一雄の『無名の南画家』をとりあえず買っておいたのはここにある、「洋の洲之内徹」と対になるのもとして「和の加藤一雄」というような表現がうっすらと心に残っていたからだった。ひととおり眺めたあと、分厚い『京都画壇周辺  加藤一雄著作集』を繰った。2週間たったら図書館に戻さないといけない。