伊藤正雄著『忘れ得ぬ国文学者たち』を繰る。

へなへなと週末が終わった。今日も早起き。時間がたっぷりなのでこれ幸いと、週明けにあたって気合いを入れるべく、歩いて出かけることにする。が、すぐに疲れてしまい、ノロノロと力なく歩く。朝っぱらからずいぶんくたびれた。2駅分歩いただけで無念の途中棄権、ヨロヨロと地下鉄に乗りこんだ。と、週明け早々、こんなことでは先が思いやられるのであったが、電車に乗ったおかげで予定よりもさらに早く到着した。これ幸いと喫茶店で休むことにする。


先週、図書館でわんさと借りてきたうちの1冊、伊藤正雄著『忘れ得ぬ国文学者たち』をぼんやりと繰る。岩本素白の章があったので前々からなんとなく気になっていたのだけど、いざ繰ってみると、あらまあ! と急に朗らかな心持ちに。しみじみいい本だなあと、しみじみとなる。久保田万太郎が下町っ子の文学だとすると、素白の随筆は東京山の手文学の白眉だ、というようなことが書いてあって、うなずくことしきり。紹介されている著者あての素白の書簡の文面がいいなあとしみじみ、『素白随筆』(春秋社、昭和38年)の紹介のところに広津和郎の書評が引用、その広津和郎の出身の麻布中学で著者も同じように素白先生から国語を教わっていて、先月に『年月のあしおと』を再読したばかりだったから、ほんの偶然だったけど、しみじみ嬉しいめぐりあわせだった。広津和郎を読んだときのことをいろいろと思い出して、しみじみ。とかなんとか、しみじみしてばかりなのだった。

明治末期の東京と同時に大正の大阪のことが描かれていたりと、本当になにかとツボな本。あちこち拾い読みして、にんまり続き。文士目撃談あれこれがまたいいなあ。東大の歌舞伎研究会的な集まりで講演があったとき、綺堂よりも六代目梅幸の登場に客席は大喜びだった、でも当の梅幸は壇上でモジモジ、「きまり悪うございますからご勘弁を」とシナをつくって早々に降りてしまった、それでもみんな大喜び、というくだりに「いいなあ」となっているうちに時間になった。なんか、「いいなあ」の言いどおしなのだった。


雨がザアザアなので、早々に帰宅。注文していたトクマノベルス版、戸板康二『松風の記憶』が届いていた。これを機に再読して、ここに出てくる心斎橋描写を再確認しようと思う。