今週のおぼえ帳
- 文学館のライブラリーで吉村公三郎の『自由学校』
獅子文六原作『自由学校』はたまに上映があっても、いつも松竹の渋谷実の方ばかり。その一方、吉村公三郎の大映版はずっと気になりつつも今までとんと見る機会のなかった。教えていただいたところによると、その吉村公三郎の『自由学校』のヴィデオが世田谷文学館に所蔵されているという。ぜひとも見に行きたいなと思いつつ、なかなか機会がなかった。そんなわけで、やれ嬉しや。展覧会の前にまずはと、ライブラリーの AV ブースでヴィデオ見物とあいなった。で、いざ見てみると、冗長なのはいたしかたないとしても、見る価値は大いにあったというところ。
渋谷実の『自由学校』とおなじように豪華な脇役陣にホクホクだった。渋谷実の方は主役の佐分利信が大傑作だったけど、吉村公三郎の方は同じ役を文藝春秋の社員、つまり素人が演じている。さてどうだろうと思っていたけど、いざ見てみると、脚本がたくみに処理されていて、素人俳優が浮くことがないようにうまく使っているなという印象。ウムなるほど、という感じだった。『三文役者あなあきい伝』を読んで以来気になっていた殿山泰司、大満喫。と、脇役陣のことを言い出すとキリがないという感じに脇役映画として実に豪華で、その比較をしたくてウズウズ、いざ見るとまた退屈するに決まっているのに渋谷実の方も見返したくなってしまう。あと、うーむと唸ったのは、吉村公三郎ならではの洒落ッ気が随所に垣間見られることで、冒頭で木暮実千代が寝ている夫を起こすところで鏡を反射させるところとか、郊外の歩道を遠くから撮るアングルとか、白黒映像ならではの目の愉しみがあちこちにあった(気がする)。獅子文六の新聞小説の映画化はストーリーをなぞるだけになってしまう傾向があって、冗長になってしまうことが多い。そのストーリーをなぞるというところも、ところどころでちょっと洒落た処理をしていてニンマリだった。
とかなんとか、約2時間、ライブラリーの片隅の小さなテレビ画面(窓から日が射して反射して見にくい)でヴィデオを見ていて、ふだんスクリーンでしか映画を見ないこともあってか、ずいぶん疲れてしまった。
そんなこんなで、そもそものお目当ての展覧会の方は、テンション低く見物することとなってしまった。ああ、こんなはずでは……。
花森安治と暮しの手帖は、正直自分のなかではとっくにひと段落ついていて、もういいかなと言ってしまいたくなるのだけど、いざ展覧会と聞くと、やっぱり無視できなくて、イソイソと見物にやってきた次第。というふうな「自分のなかでとっくにひと段落ついている」と思っていたところに「あっ」と何か胸を躍らせるところがあるとよかったのだけど、テンション低く見ていたせいもあるけど、実際の展覧会でも特に新鮮な感想は得られず。4年前のギンザ・グラフィック・ギャラリーでの花森安治展と3年前の年末に暮しの手帖社から出た『花森安治特集』、これらに尽きてしまっているなあと思った。せっかくの文学館での展覧会なのだから、これらを越える何かが欲しかったと思う。それが何かはわたしには思いつかないけど。
常設展を見るのは2度目。前来たときとずいぶん感じが変わっていて、面白かった。前来たときも見た野上弥生子の VTR をまた見てしまった。東京會舘での百歳を記念する会での野上弥生子のスピーチをまた聞きたくて。
あとで知ったところによると、同日、わたしが小さな画面に難儀しながら『自由学校』を見ていた間にちわみさんがいらっしゃっていたというではありませんか! なんという奇遇。ちわみさんのご感想、いつもながらにナイスなのです(→http://blog.livedoor.jp/chiwami403/archives/50360188.html)。