野口冨士男にしみじみ感じ入り、「春燈」六十周年号に興奮する。

出がけに、今日は何を読むとするかなと本棚を眺めて、突発的に野口冨士男の生前最後の小説集、『しあわせ』(講談社、1990年)を取り出す。半年以上も前にマロニエ通りの奥村で嬉々と買ったきりであった。喫茶店でコーヒーを飲んでふうっとひと息ついたあと、ページを繰る。講談社文芸文庫で読んだ『しあわせ』以外、すべて未読。まずはあとがきを読んで、しみじみ感じ入る。

朝は、全6篇のうちの4篇を年代順に、『ぶっちぎり』(昭和58年)、『妖狐年表』(昭和62年)、『横顔』(平成元年)、『しあわせ』(平成2年)を読んだ。なにかと思うところ多々ありで、本読みは野口冨士男を中心にまわるなあと、あらためて思う。『妖狐年表』にある和木清三郎描写をみて、「三田文学」の和木追悼特集の野口冨士男の一文を思い出し、また、『感触的昭和文壇史』をあらためてじっくり読まねばと思った。

奥村で『しあわせ』を手に取ったとき、なかに武藤康史による追悼文(「週刊文春」隔週連載「批評の細道」第24回)の切り抜きが挟んであって、狂喜乱舞だった。青山光二による野口冨士男への弔辞はどんななのだろう。武藤康史による、『しあわせ』のあとの書誌をフムフムと眺めて、手帳にメモ。いつか欲しい夢の一冊、満八十歳の誕生日を迎えた1992年7月に出た、『野口冨士男自選小説全集』(河出書房新社)の上巻の巻頭にある50年前の野口冨士男ポートレートは、武藤康史によると「水もしたたる美男子」なのだそうだ。ますます早く手に入れたいものだなあと、この目で確認するのがたのしみ、たのしみ。…というようなことをしているうちに、時間になる。


帰り、神保町に立ち寄る。フムフムと東京堂で本を見る。新刊台にあった、国書刊行会刊の稲垣眞美著『旧制一高の文学―上田敏谷崎潤一郎川端康成・池谷信三郎・堀辰雄中島敦立原道造らの系譜』という本に「おっ」となったあと、なんとはなしに雑誌の文芸書コーナーにゆくと、「春燈」(http://www15.ocn.ne.jp/~shuntoo/)の60周年記念号が1冊だけひっそりと売っているので、キャー! 出たー! 出たー! と、いきなり大興奮。語彙が貧弱ゆえ、しょっちゅう「大興奮」という言葉を使ってしまうのだけど、「大興奮」という言葉はまさしくこんなときのために存在するのだ、それくらいの大興奮。「春燈」の60周年記念号が出るらしいということを知ったのは去年の夏だった。本当に出たんだ! といつまでも大興奮。3500円という価格にもなんのためらいも感じない、さア、お会計、と言いたいところだったけど、所持金にちと不安があったので、今日のところは断念。しかし、近日中に絶対買うッと、目には炎がメラメラ、ズンズンと東京堂をあとにする。


当初の計画通りに、地下の喫茶店でコーヒーを飲む。朝、『しあわせ』のあとがきを目にしたとき、全6篇のうちの残りの2篇、昭和21年に書かれた『薄ひざし』と『うしろ姿』は、夜にじっくりと読みたいなと思った。ので、その2篇を読んだ。

 戦時中に浅見淵氏から文芸時評で、時勢に順応せぬ非国民とみなされても致し方のない「最後の風俗作家」と評された体験をもつ私は、戦後、風俗小説とは何だろうかと自問した。少女小説、恋愛小説、冒険小説、農民小説などとよばれるものがいずれもながしかの具体的イメージをあたえるのにもかかわらず、風俗という文字は抽象的ですらある。具体的には娼婦、ホステス、OLなどと男性――あるいはその逆の組み合わせが、主として都会を背景に結ばれたりほぐれたりする模様をえがくものであったが、戦後による新時代への再出発に際して、そこのところを徹底的に考え直してみようとした結果が「薄ひざし」という、とうてい小説とは呼べぬような作品を産んだ。
 が、しかし、これも実は小説の一つではなかったか。そんな思いが四十余年を経過したこんにち取り出してみた契機である。発表誌の「文明」は田宮虎彦、「新文芸」は水上勉が編集長であった。

野口冨士男『しあわせ』あとがきより)