朝は勝本清一郎論、夜は中野重治の書簡集にしみじみ感じ入る。

昨日と違って、今日は曇っていて幾分涼しい。機嫌よく早々に外出して、コーヒーを飲む。『デイヴィッド・コパフィールド』再読を進める、その前に、先日おすそわけで送っていだいたリトルマガジン「文游」を取り出す。あわや埋もれてしまうところであった、危ないところだった。鈴木地蔵さんの勝本清一郎論をじっくりと熟読、たいへんおもしろく、うーむといろいろと心に刻む。『島崎蓊助自伝―父・藤村への抵抗と回帰』(平凡社、2002年)を読んでからというもの、気をつけているとあちこちで勝本清一郎に遭遇し、そのたびになにかとおもしろいと思っていたものであった。鈴木地蔵さんの文章は単行本としてまたあらためてじっくりと読むのがとてもたのしみ、その前に少しでも、このあたりの芋づるを自分なりにたどってみたいものだなあというようなことを思ったあと、ディケンズをズンズンと再読。スイスイと気持ちよく、どんどんページが進む。

昼、突如、徳田秋声の『仮装人物』を未読であることがえらく気になってきた。こうしてはいられないと、イソイソと本屋へゆく。岩波文庫を物色するも、あいにく在庫がなかった。心の隙間を埋めるべく、岩波現代文庫の『座談会 明治・大正文学史』の第三巻以降が未読なので物色するもこちらも在庫なし。早々に退散し、コーヒーショップへゆく。『デイヴィッド・コパフィールド』を読み進める。

夜、京橋図書館へゆく。中野重治著『愛しき者へ』上下を借りる。なにか激しい衝動にみまわれて、すぐさま図書館に予約をしたのであったが、いざ借り出し当日になってみると、どんな衝動だったのか思い出せず。帰宅後、ミルクティを入れて、ハテどんな衝動だったのだろうといぶかしがりつつ、中野重治の書簡集を適当に拾い読みしはじめてみると、これがなかなかすばらしい「言葉、言葉、言葉」の連鎖で、どんな衝動だったかはもうどうでもよい。こういう本は図書館ではなく、手元に置いてじっくりと読みたいものだと思うのだった。

チビチビとゆっくりと再読するつもりだった『デイヴィッド・コパフィールド』、第一巻があっという間におしまいのページになってしまい、すっかり宵っ張り。2巻目は来週以降にしよう。