ディケンズ再読が終了し、「小林一三と歌舞伎」に胸躍らせる。

朝の喫茶店で『デイヴィッド・コパフィールド』第4巻を読み続け、加速度的にページを繰る指がとまらなくなり、あっという間に読了。新潮文庫ディケンズ中野好夫訳の全4冊を以前読んだのは、中学生か高校生の頃。大昔に読んだ長篇小説を再読するのは今回が初めてだけど、『デイヴィッド・コパフィールド』は前回読んだときよりも格段に堪能したと思う。また折に触れて、以前読んだ長篇を再読できればと思う。再読ならではの本読みは格別だ。愉しき哉。


しかし、次なる長篇小説は前々から気になっている未読作品にしたいのだと、急に『虚栄の市』のことで胸がいっぱいになる。こうしてはいられないと、昼、本屋へ出かけ、岩波文庫の棚へ突進すると、お目当てのサッカレーじゃない、サッカリー/中島賢二訳『虚栄の市』全4冊は狙ったかのように第1巻のみ棚にない。さっそく読み始めるつもりだったのにと、がっくりと肩を落とす。シオシオと退散しようとしたそのとき、「一冊の本」の新しい号が積んであるのを見てガバッと手にし、イソイソとコーヒーショップへゆく。

わたしにとっての現在ほぼ唯一の宝塚情報源ということで、このところ「一冊の本」を入手するとまっさきに小倉千加子のページを開く。小倉千加子は「一冊の本」で毎回(たぶん)必ず数行は宝塚観劇のことに言及しているのだけど、さて今月号はどうかなとページを繰ってみると、今回は数行どころか全ページ、おお宝塚! 先月に池田文庫で小倉千加子が聴講したという「小林一三と歌舞伎」と題した講演のことを書いている。「小林一三と歌舞伎」とはあまりにもストライクゾーンで、大興奮。小倉千加子の文章そのものではなく、小倉千加子の文章が伝える「小林一三と歌舞伎」の講演内容の方をじっくりと満喫、いつまでも興奮。何度も読み返して、時間になる。


夜、《フランス古典映画への誘い 》特集開催中のフィルムセンターで、ゴダールの『立派な詐欺師』とシャブロルの『虎は新鮮な肉を好む』を見る。昨日に引き続いて、しみじみ堪能。こういう映画が昔は大好きで、こういう映画ばかりを見ていたものだった。こういう映画の歓びを知ったのは、前回にディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』を読んだのと同じ頃だったなあというようなことを思う。

まわるアサヒペンのふもとのコーヒーショップで、野口冨士男の『徳田秋声ノート』(中央公論社、昭和47年)を読了。『徳田秋声ノート』は、野口冨士男徳田秋声についての著書全3冊のうちの真ん中の本。『徳田秋聲傳』(筑摩書房、昭和40年)と『徳田秋聲の文学』(筑摩書房、昭和54年)を入手して、腰を据えてじっくりと取り組むのを今年下半期の抱負としようと、本読みの愉しみ満載でウキウキ。しかし、今月は古本代がかさんでしまったので、来月は自粛せねばならぬのだったと古書価格の高いこれら二冊の入手はちょっと先になりそうだ。じっと手を見たあと、『徳田秋声ノート』をピンポイント式に読み返しているうちに閉店時間となる。