盛厚三さんの中戸川吉二解説を読み、あらためて EDI に心ときめく。

宵っ張りの早起きをして早々に外出。喫茶店でほっとひと息つく間もなく、塩山芳明南陀楼綾繁編『出版業界最底辺日記』(ちくま文庫)の続き、1998年のページを開き、ズンズンとランランと読みふって、昨夜に引き続いてページを繰る指がとまらない。あっという間に時間になる。あともう少しでおしまいのページなのにと、「後ろ髪を引かれる」という言葉が身にしみる。冷めたコーヒーを飲み干して立ち上がる。

出版業界最底辺日記―エロ漫画編集者「嫌われ者の記」 (ちくま文庫)

昼、コーヒーショップに駆け込んで、塩山芳明『出版業界最底辺日記』読了。指に力を込めて読むあまり、読み終わってみると文庫本のページが反り返って、蝶々みたいになってしまった。重しとして手帳を上に乗せた『出版業界最底辺日記』を喫茶卓に出しっ放しのまま、まだ少し時間があったのでこれ幸いと、レベッカの勇姿を拝むべく、『虚栄の市』第1巻(岩波文庫)を読む。残りのページあとわずかというところで時間になる。

日没時、明日が返却期限の越路吹雪用に MD 10枚組を買い、丸善に向かって線路沿いを早歩き。3日目にしてやっと「新潮OH!文庫」とやらがそこそこ並んでいる書店に来ることができたと、山村修『禁煙の愉しみ』(新潮OH!文庫)を買う。


帰宅すると、盛厚三id:kozokotani)さんから、中戸川吉二『北村十吉』を復刻した「まぼろし文学館」(本の友社、1998年)巻末の解説のコピーが届いていて、歓喜にむせぶ。『北村十吉』の盛厚三さんによる解説のタイトルは「自意識過剰の文学―中戸川吉二『北村十吉』の世界」。手洗いうがいを後回しにして、さっそく読みふける。同封していただいた《名取洋之助と日本工房展》のチケットを手帳に挟んで、いつまでも歓喜にむせぶ。

山下武監修の「まぼろし文学館」全8巻セット(128000円+税)とはどんなラインナップになっているのだろうと気になって、NDL の OPAC で検索してみたら、次の通り。

    1. 山中峯太郎『俺は帰る』(警醒社書店、大正10年)
    2. 中戸川吉二『北村十吉』(叢文閣、大正11年
    3. 加能作次郎『寂しき路』(聚英閣、大正9年)
    4. 須藤鐘一『女難懺悔』(白揚社、大正15年)
    5. 藤沢清造根津権現裏』(日本図書出版、大正11年
    6. 森田草平『輪廻』(飛鳥書店、昭和21年)
    7. 南部修太郎『若き入獄者の手記』(文興院、大正13年
    8. 島田清次郎『我れ世に敗れたり』(春秋社、大正13年

「南部修太郎の知、中戸川吉二の巧」ということで、今、南部修太郎がとても気になる! と思っていたら、中戸川吉二とおんなじように、EDI 叢書(http://www.edi-net.com/sosho/sosho-1.html)になっていて、歓喜にむせぶ。「三田文学」追跡が本読みのテーマのひとつの身としては、山下三郎が入っているのも、なんとぜいたくなことだろうと思う。たのしみ、たのしみ。

盛厚三さんは、上記の「自意識過剰の文学―中戸川吉二『北村十吉』の世界」のなかで、『北村十吉』の読後感として『高見順日記』第3巻にある《実にのんきな大正時代のしあわせと不幸。バカバカしくて読むのを止めようと思ったが、行を飛ばして読んで行った。するうち、モデルの興味が出て来た。》という一節を引いたあと、平野謙による「文壇交友録小説」という言葉を紹介している。この言葉を目にしたときにとりわけ鮮やかに『北村十吉』を読んでいたときのことを思い出して、胸がキューンとなったのだったけど、そのあとで、EDI のラインナップを見ることで、「文学が好き」(by 荒川洋治)というような心境になって、さらに嬉しいのだった。EDI 叢書(と京橋図書館)がなかったら、中戸川吉二読みの一連のたのしき日々はなかった。


大急ぎで越路吹雪ディスク(『越路吹雪メモリアル参:ようこそ劇場へ―ライヴの軌跡―』)を次々に MD に落として、寝る。