「海鳴り」を喫茶卓に置いて、『虚栄の市』第3巻を読み始める。

昨夜はたっぷりと眠って、実に爽快な寝覚めなり。早々に外出して喫茶店でコーヒーを飲む。水曜日の夜に入手したものの、うっかり昨日持参するのを忘れた、編集工房ノア「海鳴り」18号(2006年7月10月発行)を取り出して、うっとり。巻頭に掲載の、

《この年令になるまで私は書斎というものを持ったことがなかったのに、とうとう出世して二畳半ばかりの個室、つまり私の書斎を持てるようになるらしい。いま私はたいへんよい機嫌で、いそいそしている。》

という書き出しの「このごろ」と題された天野忠の未発表原稿をゆっくりゆっくり読む。



「六十二歳になってはじめて持った」「書斎にあった天野さん愛用の文机、が今、わが家にある」ということを綴った涸沢純平の文章が巻末にある「海鳴り」18号。加能作次郎について書いた山田稔の文章に激しく揺さぶられる。

「海鳴り」を喫茶卓に置いたまま、サッカリー/中島賢二訳『虚栄の市』第3巻(岩波文庫)を読む。


日没時、トロトロとマロニエ通りを歩いて、京橋図書館へゆく。今週も無事に終わってなによりであった。疲れてしまったので、タリーズでコーヒーを飲んでいくことにする。借りたばかりの、神吉拓郎『花の頃には』(ネスコ、1995年12月)を読む。つい次々と読みふけってしまい、数篇読んだところでバタッと本を閉じて、後日にとっておくことにする。『虚栄の市』第3巻をズンズンと読み進める。