中野好夫訳のシェイクスピアに胸躍らせ、東京宝塚劇場へ出かける。

朝の喫茶店シェイクスピア中野好夫訳『ジュリアス・シーザー』(岩波文庫)を読み始めてみると、思いのほかたいへんおもしろく、眠気が吹っ飛ぶ。原文はもちろんだけど、中野好夫による詳細な注釈にたいそうワクワク。注釈を参照しながら原文の文字を追う、ただそれだけがこんなにおもしろいなんて! と、いつまでもワクワク。「教授の見解――大切なのはシェイクスピアではなくこれに加えられる注釈なり」という『チェーホフの手帖』の一節を思い出したりも。注釈に通底している中野好夫そのひとに急に心惹かれるものがあって、いてもたってもいられなくなる。本を読むという習慣を持つようになってから中野好夫の翻訳にはたいそうお世話になっていたはずなのだけど、今まで特にはこの翻訳者を気にとめることはなかった気がする。なんということだろう。『ジュリアス・シーザー』のところどころの演説口調の訳文に接しているうちに、15年ぶりに先日再読したばかりの『ディヴィッド・コパフィールド』のミコーバーのことを思い出して、本当にもう、いてもたってもいられなくなる。
(ト、あとで検索して、若島正サイトの文章を読んで、さらに感激する。→ http://www.wombat.zaq.ne.jp/propara/articles/037.html


昼、『ジュリアス・シーザー』が読みさしなのに、待ち切れずに本屋さんへ走る。中野好夫訳のシェイクスピアを下見する。岩波文庫では『ヴェニスの商人』と『ヘンリー四世』であるが『ヘンリー四世』は品切、新潮文庫では『ロミオとジュリエット』が出ている。中野好夫訳のシェイクスピアを読むたのしみはあと3つ。


日没後、「レビジューブリアン〜♪ うつくしい〜♪」と鼻歌まじりで東京宝塚劇場へ出かける。月組の『暁のローマ』がはじまるまで、ロビーの長椅子で『ジュリアス・シーザー』を繰る。思えば、この文庫本は、前回『暁のローマ』を見物したあとハイになって、次回の見物のときまで下敷きになっているシェイクスピアを読むとするかなと、教文館に駆け込んで購入したのであった。福田恆存新潮文庫と迷ったのだけど表紙が気に入らないので深い考えもなく岩波文庫にしたのだったけど、とにかくも中野好夫訳のシェイクスピアに引き合わせてくれてありがとう、宝塚、と思う。

『暁のローマ』が終わって幕間、「ブルータスはえらい〜♪ カエサルはえら〜い♪」と鼻歌まじりで場内を散歩する。庄野潤三が、東京宝塚劇場に行くたびに「ヨーグルトファンシー」というのを食べる、おいしい、というようなことを書いていた、というようなことを母が言っていたのを思い出し、「ヨーグルトファンシー」とはいったいなんじゃろなと偵察に出かけ、2階の売店で280円で売っているのを発見し、行列に並ぶ。


帰宅後の夜ふけ、シェイクスピア中野好夫訳『ジュリアス・シーザー』(岩波文庫)読了。