演劇博物館で藤本真澄に思いを馳せ、新文芸坐でくたびれる。

お昼前に外出。今日も春爛漫だなあと、早稲田方面に向かってテクテク歩いて、演劇博物館(http://www.waseda.jp/enpaku/)にたどり着いた。昨夜、『古川ロッパ昭和日記』を読み始めたとたんに昭和9年4月の明治製菓タイアップ公演『僕は天下の人気者』のくだりに興奮、の勢いに乗って、明治製菓タイアップに関するあれこれを追いかけろ! という前々からの懸案を胸に、意気揚々と図書室へ。まずは、明治製菓タイアップ映画といえばキーパーソンは藤本真澄だてんで、ずっと探しているけれどもなかなか見つからない、尾崎秀樹編『プロデューサー人生 藤本真澄 映画に賭ける』(東宝株式会社出版事業部、昭和56年)をメラメラと閲覧。藤本真澄本人が綴った「一プロデューサーの自伝」と題する文章を中心に映画関係者による追悼文(戸板康二も登場!)をあわせて編んだもので、いつの日かぜひとも入手したい必須資料なのだった(装幀のセンスは悪いけど)。


昭和9年に明治製菓宣伝部に入り内田誠のもとでPR 誌「スヰート」の編集に携わったり宣伝映画を作ったりしたあと昭和12年、P.C.L に入社…という、今一番知りたいことが書いてある「明治製菓の宣伝マン時代」なる章をまっさきに開いて、ランランとなる。P.C.L 第1回作品『ほろよひ人生』は大日本麦酒、第2回作品が『純情の都』で明治製菓とのタイアップ、森岩雄内田誠がからんで、久保田万太郎徳川夢声と、いつのまにか話は「いとう句会」人物誌となり、おのずと戸板康二ともつながってゆく。とかなんとか、もう何年も前から、おんなじところでグルグル回って、興奮してばかりなのだけれど、今日もしょうこりもなくクラクラなのだった。



画像は昭和8年の「三田文学」に掲載の大日本麦酒株式会社の広告なり。昭和8年の記念すべきP.C.L 第1回作品の『ほろよひ人生』を1月にフィルムセンターで見て、先月は成瀬巳喜男明治製菓タイアップのサイレントのことをなつかしく思い出し、このところなんとなく戦前昭和のタイアップ映画が熱い! とソワソワだった。と、そんな折、大瀧詠一さんによるすばらしい一文を見つけて大感激だった(→「チョコレートが作った“浮雲”」:http://www.fussa45.net/cinema/roll_03.html)。本当にすばらしい! さっそく印刷して、嬉々とわが明治製菓ファイルに綴じたのだったのけれど、その明治製菓ファイルに追加すべくウキウキと『プロデューサー人生』のコピー作業にいそしんで、あらあらもう時間がない、今日のところはこのへんで外に出る。


早稲田から都電荒川線にのって、東池袋で下車。池袋駅方面へとテクテク歩いて、新文芸坐にて昼下がり、山本薩夫の『暴力の街』(昭和25年・独立プロ)を見る。昨日の『煉瓦女工』とおなじく新劇人がたくさん登場の、「ペン偽らず」と冠されたジャーナリズム魂あふれるドキュメンタリーチックなつくりで、凛とした白黒映像にトレンチコートのよく似合う池部良が映えまくり、悪役三島雅夫ステレオタイプ大芝居がたのしく、法曹人を演じさせると日本一(たぶん)の滝沢修の黒幕検事は「型もの」的快感が(いつもおなじ)、志村喬はいかにも志村喬という役どころの無骨なジャーナリスト、殿山泰司の出番が多いのも嬉しく……などなど、次々に映し出される顔、顔、顔が嬉しい(あれ、わたしの好きな河野秋武はどこにいたのかな?)。とかなんとか、はじめのうちはソコソコたのしんでいたものの、新文芸坐はひさしぶりで勝手がよくわからず、うっかり前の方に座ってしまったのがたたって、映画の進行とともに首が痛くなり、映画の進行ととともにテンションが急降下。終盤、竜巻のように盛り上がる群集とは裏腹に、ひどくくたびれてしまった。映画が終わってヨロヨロと外に出てみると、ああ、太陽がまぶしい。


さあ、気を取り直して、ひさしぶりのジュンク堂回遊を満喫したあとは目白へお散歩、おみやげにお菓子を買うといたしましょう! といきたいところだったのだけど、ジュンク堂に向かって歩いているうちに猛烈に眠くなってしまい、もうどうにもならない。地下鉄に乗り込んで、スゴスゴと家路についた。家に帰ってみると洗濯物がパリッとよくかわいていて実に気持ちがよい。洗濯物をたたんで、夕食の仕込み(というほどのものではない)を終わらせて、ちょいとひと休み。ボンヌママンのレモンタルトを食べながら、戸板康二『あの人この人 昭和人物誌』(文春文庫)の藤本真澄の項を読み返し、興にのってあちらこちら拾い読み……しているうちに、いつのまにかスヤスヤと寝入ってしまい、目が覚めたらとっぷりと日が暮れていた。