ロッパ日記を繰り、宇野浩二『大阪』を取り出し、長谷川りん二郎。

せっかく目を覚ましたというのに朝からたいそう眠たくて、昼になってもたいそう眠たい。お弁当もソコソコに本屋へ出かける。「ちくま」が積んであるのが視界に入り、おっと一瞬目が覚める。ガバッと一冊持ち帰り、そのままコーヒーショップへ。時間までコーヒーをすすりながら「ちくま」を眺める。フラナリー・オコナーの書簡集の翻訳が出ると知って、感激。青山南の文章をジーンと読みふける(http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0703/070302.jsp)。大江健三郎の『人生の習慣』は十代後半の頃のとびっきりの愛読書だった(講演集なので読みやすかった。)。その本はとっくに散逸してしまっているのだけど、いろいろと追憶にひたって、いつまでもジーン。


あっという間に一日が終わる。一日中眠かった。それでも、寝床で『古川ロッパ昭和日記 戦前篇』の続きを開いてみたら、やっぱりページを繰る指がとまらなくて、すぐには寝ないのだった。日記は昭和11年、二・二六直前のある日、伊東屋で「ウオタマンの万年筆」を買っているロッパ、わたしも週末に買ったばかり、というただそれだけで、ついにっこり。ロッパの絶頂のサマになんともいえないグルーヴ感、ズンズンと読み進め、同年8月のある日には宇野浩二の『大阪』を堪能しているロッパ、戸板康二がこの本片手に灼熱の大阪を歩いていたのもこの頃だったのかな、チラリと登場の「東宝重役の今村氏」って串田孫一の叔父さんの今村信吉ね! ……とかなんとか思いながらユルユルと繰って、いつのまにか止まらなくなっている。



宇野浩二『大阪』新風土記叢書第一編(小山書店、昭和11年3月)。戸板康二が暁星を卒業して慶応予科に入学したのが昭和7年、その年の夏に父が大阪へ転勤し実家は一時的に関西となり、三田へ通っていた戸板さんは下宿暮らしとなり、休暇になると阪神間の住吉の家族のもとへ「帰省」、年に3度関西に滞在することとなった……云々という、昭和7年から昭和12年までの戸板康二の「阪神間」時代は前々からの大きな関心事で、いわゆる「阪神間モダニズム」とも連動するわけでなにかと魅惑されっぱなし(と言いつつ、クラクラしているだけで調査は進展せず今日に至っている。)。学生の頃の帰省の折、宇野浩二の『大阪』片手に灼熱の御堂筋を歩いたことを戸板さんがエッセイに綴っているのを見て、真似して買った小山書店の新風土記叢書、宇野浩二の『大阪』は大のお気に入り。長谷川りん二郎の静物画が表紙にあしらってあって、初めて手に取ったとき一目見たとたん、うっとりだった。精興社印刷で中の活字も実にうつくしい。近日の京阪神行きに備えて、気分を盛り上げるべく本棚から取り出して、ようやく寝る。



こちらは内田誠『浅黄裏』(双雅房、昭和10年4月)の挿絵より、長谷川りん二郎画《巴里祭》。明治製菓気分を盛り上げるべく、ついでに本棚から取り出したところ。