震災後から戦前にかけての製菓会社宣伝部に胸躍らせ、図書館へ。

昨日は、懸案の本棚の整理が一段落ついたので、日没後、ドナドナと電車にのって、ひさびさに本を売りに行った。願ってもいない高値(…になるようにあらかじめ予想価格を低めに設定)で引き取っていただいて、こんなに嬉しいことはない、わーいわーいと機嫌よく焼酎をグビグビ飲んで、夜ふけに帰宅。と、そんなこんなで、ずいぶん朝寝坊の日曜日。午後、図書館に出かける。森永製菓宣伝部に昭和7年に入社の新井静一郎著『広告のなかの自伝』(マドラ出版、1989年)を閲覧する。


先日、「sumus」第9号《あまカラ洋酒天国》を読み返していた折、南陀楼綾繁さんの論考「池田文痴庵と森永製菓」を何年ぶりかで読み返して、あらためて「ワオ!」だった。初めて読んだときも今も、まっさきに思うことは、震災後から戦前にかけての製菓会社宣伝部の人物誌、ということ。内田誠が采配を振っていた明治製菓の宣伝部に戸板康二が入るのは昭和14年4月、以前おなじ職場には藤本真澄がいて、戸板康二と同じ時期、ライヴァルの森永製菓では十返肇が在籍していた。そして、「非常に宣伝好き、イベント好きの会社」だった森永製菓の昭和初期の宣伝部における池田文痴庵。このところ、明治製菓の「スヰート」あれこれを思っては悦に入っていたから、ナンダロウさんの文章がなおのことグッとしみてくる。

この時期は文痴庵にとって、仕事と趣味、雑学(蒐集)と宣伝とを結びつけて活動できたもっとも幸福な時代ではなかっただろうか。一方、このような社員の存在を許した森永製菓でも、宣伝部やデザイナーが一体となって、次々と企画を打ち出していたのである。

南陀楼綾繁池田文痴庵と森永製菓(前編) - 「sumus」第9号《あまカラ洋酒天国》(2002年5月発行)」】


そんなこんなで、南陀楼綾繁さんの「池田文痴庵と森永製菓」、中編掲載の「sumus」第10号《スクラップブックの時代》(2002年9月)と後編掲載の第12号《小出版社の冒険》(2004年5月)を立て続けに繰ることとなり、ひさびさに「sumus」のあちらこちらを繰っては、なにかと目を開かされていたのだった。



sumus」第9号《あまカラ洋酒天国》の裏表紙。この素敵な挿絵はなにかというと、《時事新報社家庭部編『東京名物食べある記』(正和堂書房、1929)の函。時事新報連載記事をまとめた本で、責任編集は白木正光である。後年の『大東京うまいものたべある記』と共通する記事も多い。絵は河盛久夫か。》とのこと。白木正光による2冊のグルメ本は、先日コピーをとった坪内祐三「昭和『食べある記』ブーム考」でとても印象的に紹介されていた。あらためて、ワオ!


ナンダロウさんの文章で知った新井静一郎、『広告のなかの自伝』を繰って、さっそく嬉しかった一節。昭和7年3月に森永製菓に入社した当時の回想。

殊にチョコレートは、その頃新鮮でモダンな製品であったから、広告表現の上でもアップ・トゥー・デートな新しさを出そうとして努力したことを覚えている。感覚からもムードからも、チョコレートと対比させられるものは映画だった。コピーを書く上で師も参考書も持たなかった私には、学ぶべき相手は映画広告のコピーであり、事実、東和映画の筈見恒夫氏のコピーには感心させられるものが多かった。

【新井静一郎『広告のなかの自伝』(マドラ出版、1989年)】

野口久光の装幀がそこはかとなく素敵な、一周忌に刊行された追悼本、『筈見恒夫』(昭和34年6月)をあらためてじっくりと繰りたくなった。新井静一郎だけでなく、当時の森永製菓広報部の面々は、戦前だけでなく戦後の広告界でも大活躍なのだった。それにひきかえ、明治製菓の宣伝部長、内田誠の末路を思うとちと切ないなアとしんみりしながら、日本電報通信社編『広告五十年史』(昭和26年)という分厚い本を開いてみたら、編集委員の一人に内田誠がいて「おっ」となった。50年以上前に刊行の『広告五十年史』でとりあえずわかったことは、『古川ロッパ日記 戦前篇』精読の折に胸躍らせた、ロッパ歌う明治製菓タイアップの「僕は天下の人気者」なる歌の歌詞が、《僕は天下の人気者 顔の四角は生れつき 丸くなるならなりましょう お口に召したらなりましょう》というふうになっているということ。


とかなんとか、日曜日はあっという間に終わってしまった。張り切って明日から読み始めるべく、トルストイ/藤沼貴訳『戦争と平和』第6巻(岩波文庫、2006年)を買って、帰宅。



『広告漫談』(朝日新聞社発行非売品、昭和8年11月10日発行)。装幀:森珠星。徳川夢声の短篇五篇、大辻司郎の短篇二篇、古川緑波の短篇一篇収録。『広告五十年史』(日本電報通信社、昭和26年)で、《「東京朝日」の広告部が漫談広告を斡旋した。徳川夢声大辻司郎の両漫談家を動かしていろいろ商品を巧にとり入れた漫談が好評であった。》という記述を見て、「あっ」と部屋の本棚の奥の方にひっそりと仕舞ってある小冊子のことを思い出して(古書価格は安くはなかった…)、ひさびさに取り出す。「明治チョコレート」も登場の夢声作の漫談ににっこり。小冊子全体にただようこの暢気さは、同年のP.C.L 第1回作品のビール映画、『ほろよひ人生』とまったくおんなじムードかなあと思う。『ほろよひ人生』のスクリーンに居合わせていた3人による「広告漫談」。この脱力感がたまらなくいとおしい。