演博で『藤井滋司を憶う』を閲覧して、高木四郎と天野忠をおもう。

午後、早稲田大学演劇博物館へ出かける。目当ての古雑誌を閲覧しながらカリカリと調べものにいそしんで、ちょいとダレてきたかなあというところで、ひと休みすべく、いろいろと検索して、気を紛らわす。ずいぶん前から探しているけれどもなかなか見つからず、あまりに見つからないので最近は探していることすら忘れかけていた藤井滋司の追悼文集のことをなぜか急に思い出したので、ためしに検索してみたら、バッチリ所蔵されているのだった。今まで見逃していたのはなんという失策! こうしてはいられないと、あわてて閲覧申し込みに走る。


藤井麟太郎発行・天野忠編『藤井滋司を憶う』(文童社、昭和46年7月15日発行)。いざ閲覧してみたら、たいへんすばらしい本で一気に読んでしまうのがもったいない。表紙の藤井滋司の肖像を目にしただけで、惚れ惚れなのだった。いつの日か入手できるといいなと願うばかり。



『藤井滋司を憶う』の表紙の肖像はなんと高木四郎によるもの。


と、藤井滋司の追悼文集に高木四郎の名前が登場していたとは知らなんだ、知らなんだと大興奮、まっさきに高木四郎のページを開いてみると、そのタイトルは「藤井さんと私」。

 藤井さんは柔和な人だった。
 藤井さんと知り合ったのは戦後間もなく、ある出版社ができるころだった。その出版社の方で歌舞伎や文楽を主とした雑誌を出そうというので、その相談の集りがあって、私は旧知のIさんの勧めで出席した。この出版社へIさんを引き合わせたのは天野忠さんだったようで、天野さんともそれ以来親しくなった。
 その会合の帰路、藤井さんと四条通りをぶらぶら歩いた。藤井さんは渋いチェックのハンティングをひょいとかぶって、火のついた短かい煙草を横ぐわえにして屈託のなさそうなほほえみを浮べながら、いろんな話をしながら歩いた。
 それ以来古い友人のように親しくなった。

ここにある「ある出版社」というのは京都の和敬書店のことで、「歌舞伎や文楽を主とした雑誌」というのは「幕間」(昭和21年5月創刊、昭和36年9月終刊)だとみて間違いあるまい(「Iさん」は井上甚之助のことかな?)。京都の和敬書店は前々からの大きな関心事だった。戸板康二を追ううえでの重要事項のひとつ、京都の和敬書店の人物誌として、高木四郎はもとより、天野忠や藤井滋司も組み込むことができると初めて知ったことが、なによりも嬉しいのだった。


そもそも高木四郎については、昭和20年代の「幕間」の表紙の絵を描いている人として知ったのがきっかけだった。特に初期のころの「幕間」の表紙がどれもこれも大好きで、特に初期の表紙は私家版画集をこしらえたいくらい愛着がある。高木四郎と藤井滋司が知り合うきっかけは「幕間」で、天野忠と高木四郎が知り合うきっかけも「幕間」だったとは、戸板康二がらみで前々から深い印象を残す、京都の演劇雑誌「幕間」は、なにかと無尽蔵だなアと、ひさびさに目を見開かれて、気持ちがウキウキしてくる日曜日の午後。敗戦後の京都ならではのゆったりした時間に和む。天野忠と高木四郎といえば、天野忠の限定版詩集、『人嫌いの唄抄』(文童社、1971年9月)に高木四郎が絵を描いているという(山田稔の『北園町九十三番地』で知った)。『藤井滋司を憶う』とおなじく、天野忠と高木四郎のコラボレーション。いつか手にできたらいいなと切に思う。


高木四郎の文章のなかの一節。

藤井さんは映画はもとより、歌舞伎や新派や文楽もよく見た。文楽は特に好きで研究してみたいと思っていたようで、大阪へもよく出かけて行った。そんな後では私に番付けを見せながら詳しく話をしてくれた。こんな話がどうかして劇評や演劇論のようなことにもなって、その説に私が反対の説を出しても、まっこうから反対非難するようなことはしないで、受け入れるようにして、かと言って自説を取り下げるでもなかった。どんな話の時でも同様で、人が言いたいほうだい言えるような手順で受け答えをごく自然にはこんでいた。そして時にはユーモラスな皮肉とまでは言えないような皮肉を言った。そして人をおこらせなかった。

藤井さんは、岩浪から日本古典文学大系が出るととりはじめた。これは藤井さんの本好きからだけでなく、日本の古典を系統的に読んでみようと思うらしく、また俳句を作ることに本腰をいれようと思ったらしいことに何か、かかわり合っているのではなかったかと思う。

藤井滋司にますます親近感、なのだった。しつこく『藤井滋司を憶う』の近日の入手を願う。


東京文化財研究所のサイトで「幕間」の記事検索をしてみたら(http://archives.tobunken.go.jp/internet/gakensaku.aspx)、藤井滋司は創刊第2号から3回だけ、「これからの文楽の人々」というタイトルで寄稿していた。


帰宅後は、ひさしぶりに演劇雑誌の整理。「幕間」が思っていたよりも少なかったのが残念。



「幕間別冊 文楽号」(昭和22年7月発行)。高木四郎の表紙絵。





ついでに、昭和4年の「演芸画報」の裏表紙のクラブ白粉の広告(「NaKa」と署名)。つい先日、ある方より、クラブコスメチックスの文化資料室(http://www.clubcosmetics.co.jp/reference/)のことを教えていただいて、大感激だった。去年から4月と10月に年2回、企画展が開催されているとのことで、今月は行きそびれてしまったので、来年4月はぜひとも行きたいッとメラメラと心に刻んでいるところ。大阪に出かけるたのしみがまたひとつ増えて嬉しい。