日本橋で浮世絵を見る。隅田川沿いのミツワ石鹸。両国で新版画。

朝から理想的な曇天、太陽光線にひるむことなく、今日は気分よくどこまでも歩いていけそう……というわけで、イソイソと身支度を済ませて、いざ外出。iPodシューベルトの《ロザムンデ》四重奏をリピートしながらテクテク歩き続け、靖国通りにさしかかった。ズンズンと歩を進めて、小川町を過ぎたところで右折して、多町大通を歩いて、神田駅を通り過ぎて日本橋方面へとさらにズンズンと歩を進める。多町大通を歩くのが前々からそこはかとなく好きなのだった。この道を歩くたびに、早川書房のビルの1階の喫茶店(その名も「クリスティ」)が気になって仕方がないのだけれども、今日も気おくれして入り損ねて、別のコーヒーショップでひと休み。読みさしの、アーサー・ケストラー/中島賢二訳『真昼の暗黒』(岩波文庫、2009年9月刊)を読みふける。いよいよ佳境だ。最後まで読んでいたかったけれど、時間になったところで、スクッと立ち上がる。


そんなこんなで、午前10時。三井本館にたどりついて、7階の三井記念美術館http://www.mitsui-museum.jp/)にて開催の、《夢と追憶の江戸 高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展》の見物にゆく。風格たっぷりのエレベーターに乗って展示室へと近づいてゆくその一瞬一瞬が絶好の近代建築見物。舞台装置からして最高だった。




《三井本館》(紐育トロウブリツヂ リヴイングストン・紐育ジエムススチワート社・昭和4年3月竣工)、都市美協会編『建築の東京 大東京建築祭記念出版』(都市美協会、昭和10年8月20日発行)より。




《室町附近鳥瞰》、同じく『建築の東京』より。今日はこの写真の右斜め上の方角からテクテク歩いて、三井本館にたどりついた。




去年5月開催の《生誕120年記念 小泉信三展》に引き続いて、戸板康二へと連なる「三田の文人」の系譜(のようなもの)を思ううえで、今年に入ってから、高橋誠一郎のことを考える機会が多々あった。モクモクと刺激を受けて、嬉しいことがたくさん続いていたなかで、満を持して遭遇したのが、この《夢と追憶の江戸 高橋誠一郎浮世絵コレクション名品展》。と、たいへん気持ちが盛り上がっていたところに、さる方のご厚意で入手した「三田評論」10月号に掲載の「浮世絵の魅力」と題された、高橋誠一郎コレクション展開催にあたっての鼎談(渡辺保・渡邊章一郎・内藤正人)がとても行き届いているうえに、たいそうおもしろかった。たたでさえ興味津々の展覧会が、ますますたのしみになった。


三田評論」10月号掲載の鼎談の渡邊章一郎さんによると、高橋コレクションの特色として、《浮世絵コレクションのスタンダードで王道をいっている》、《最も初期の単色刷り、「墨摺」と言われる浮世絵から、大正・昭和期のものまで集めている》、《今回展示される主要な作品三〇〇点を見ただけでも、本当に浮世絵の教科書ができるくらいの上手な集め方をしている》といったことが挙げられ、現在1500点もの高橋コレクション慶應義塾で管理保存されているという。十数年ぶりとなる今回の「高橋コレクション展」は、前期・中期・後期の三期にわたって、すべて展示替えがなされるというたいへん充実したもので、三田の文人学者としての高橋誠一郎を思う点でも、浮世絵再入門という点でも、豪華きわまりない展覧会。三井記念美術館という会場がいかにも似つかわしい。


で、いざ展示室に足を踏み入れてみたら、期待どおりにすばらしい。というか、期待以上にすばらしくて、クラクラ。最初の展示室では、一枚一枚の浮世絵がひとつひとつのガラスケースに展示されていて、角度といい照明といい室内の調度といい、これ以上何を望むだろうかという感じの極上の状態で浮世絵を凝視することができて、とにかくもあまりのすばらしさに陶然だった。とりわけ、ひさびさに鈴木春信に対面した瞬間はジーンと胸がいっぱい。いつまでも見つめていたい感じだった。と、鈴木春信で浮世絵への思いがてっぺんまでヒートアップしたところで、次々と展示室へと移動して、時系列に「浮世絵の歴史」を、高橋誠一郎のコレクションとしてたどり、一枚一枚を凝視して、そのたびに心のなかで「キャー!」と夢中だった。


歌舞伎を見るようになったこの十年というもの、江戸文化の事象に遭遇すると、その同時代の歌舞伎史に思いを馳せるのがたのしくて、この浮世絵が作られたころ、芝居の方は……と、乏しい知識を総動員して、いろいろと思いを馳せるのだけれども、今日もそんなふうにして、浮世絵をたどりつつ「近代」へと進んでゆくのがおもしろかった。それは、おのずと歌舞伎への思いがフツフツと再燃する時間でもあって、大の劇通、高橋誠一郎先生がその長い生涯に目の当たりにした「歌舞伎の近代」をもっと勉強したいなと、いつのまにか芝居のことを考えているのもまたたのし、だった。であるので、とりわけ芝居絵を見ると、モクモクと嬉しかった。浮世絵を見るといつも着物とか小道具づかいとか構図とか視覚的な歓びだけでもあちらこちらで満喫、細部の観察もたのしい。そんな細部の観察もあちらこちらで満喫、全体を通すと、浮世絵の歓びの根幹に立ちかえった時間、これに尽きる。とにかくも、極上の「浮世絵再入門」だった。


日本橋の地で江戸文化の賜物の浮世絵をたっぷり見るひととき、というのが思っていた以上に格別だった。日本橋室町を、江戸時代は駿河町といったのはここから富士山がよく見えたからということをふと思いだして、富嶽三十六景をはじめとする富士山が登場する浮世絵を、三井本館のある「駿河町」で見るというのがいいな、いいなと思った。最初の展示室には、広重の名所江戸百景の《大はしあたけの夕立》があって、大川の近くで対面するというのがしょっぱなから嬉しかった。今回見物した高橋コレクション展の最後の一枚は、小林清親の《千ほんくい両国橋》。このあと両国へ出かけるというタイミングで目にして、よろこびはひとしお。なにもかもがすばらしかった展覧会だったけれども、この展覧会は、日本橋で見るということでさらに完璧になった。




鈴木春信《隅田川船遊び》明和4年(1767)頃、図録《青春の浮世絵師 鈴木春信―江戸のカラリスト登場》より(2002年)。遠景に墨田堤をはさんだ三囲稲荷神社の鳥居と田畑。春信といえば、2002年秋に千葉市美術館で至福の思いで見物した鈴木春信展がたいへんよい思い出で、当時買った図録はいまでも宝物の一冊。印刷がとてもすばらしくて、図録としても出色の完成度。今回高橋誠一郎の図録は買い控えて、その代りに、帰宅後の夜はひさびさに春信の図録を眺めた。




正午過ぎ、利久庵で腹ごしらえをしたあと、今度は人形町に向かってテクテクと歩く。甘酒横丁に出て、浜町に向ってズンズンと歩を進める。隅田川沿いに出ると、両国橋がすぐ先に見える。両国橋の手前のカゴメの本社の場所に、かつて「ミツワ石鹸」の丸見屋商店の社屋があった。戸板康二の「ミツワ文庫」という一文(『ロビーの対話』(三月書房・昭和53年10月刊)所収)を機に、演劇界と縁の深い丸見屋商店にまつわる戦前の広告ばなしに盛り上ったことがあったのを機に(id:foujita:20080324)、かつてないほど「ミツワ石鹸」がらみの諸々のことに夢中になって、ここ1年と数か月というもの、なにかとたのしいことが続いている。


久生十蘭の『魔都』に登場するタイアップ作戦に余念のない「鶴の子石鹸」は「ミツワ石鹸」がモデルになっている、という指摘が、海野弘著『久生十蘭『魔都』『十字街』解読』(右文書院、2008年4月)にあって「おっ」となったのと、日本橋に造詣の深いちわみさん(ブログ「森茉莉街道をゆく」:http://blog.livedoor.jp/chiwami403/)に教えていただいて、白石孝先生の著書、『明治の東京商人群像』(文眞堂、2001年12月)と『日本橋街並み繁昌史』(慶應義塾大学出版会、2003年9月)を読んだことが起爆剤となって、以来1年数か月、ミツワ石鹸と聞くとそれだけで嬉しくて、復刻された石鹸(参照:http://www.mitsuwasekken.co.jp/)を嬉々と買いに行ったり(復刻石鹸のこともちわみさんが教えてくださった)、古書展で「ミツワ石鹸」の広告を見かけるとそのたびに大喜びしたりして、現在に至っている。丸見屋商店の宣伝部長、衣笠静夫にまつわることもなにかとおもしろく、さらに追究したいところ。


丸見屋商店の社屋があった両国橋近くの馬喰町・横山町界隈の小間物街の江戸時代からの伝統と、明治期に石鹸や化粧品といった新商品分野が成長したことであらたな競争の激化、といったことがとてもおもしろくて、丸見屋商店にとどまらず、レート化粧品の平尾賛平商店、ライオン歯磨といった小間物屋の系譜に夢中になっている。彼らに共通するのが、その宣伝広告活動のおもしろさ。常日頃から執着している戦の明治製菓宣伝部について考える際にもなにかと示唆に富む、ような気がする。


ひさしぶりに、室町から駿河町、人形町、浜町を通り過ぎて、両国橋へ向かってテクテク歩いてみると、日本橋の地理とともに、江戸から近代日本へとつながる「日本橋街並み繁昌史」といったものを身体全体で感じたような気分になって、やっぱり本ばかりではなく、折に触れて歩いてみるものだと、ふつふつと嬉しい時間だった。丸見屋商店にまつわるいろいろなことをこれからさらに追究したいとメラメラとなって、両国橋を渡って、両国へと向かってゆく。




「丸見屋商店」(久野節・清水組及直営・昭和6年)、『建築の東京』より。右上に写る旗が隅田川を見下ろしている。去年、神保町シアターで、豊田四郎『如何なる星の下に』(東宝・昭和37年4月封切)を見た。映画そのものはなかなかひどい仕上がりだったけれども、「銀幕の東京」という点では大満喫で、山本富士子池部良隅田川を水上ボートで下るくだりで、両国橋のたもとから移動していくシーンで一瞬、この旗の下あたりに当時あったと思われる「ミツワ石鹸」の看板が映って、狂喜したものだった。




《トモヱ石鹸、東京・丸見屋商店》ポスター(1926年)、東京国立近代美術館図録《杉浦非水展 都市生活のデザイナー》(会期:2000年5月30日-7月29日)より。




古書展でのたのしみが戦前の筋書、裏表紙のミツワ石鹸を眺めつつ、気まぐれで買うのがいつもたのしい(値段はたいてい100円か200円)。この筋書は、東京劇場昭和9年9月興行。菊・吉二座合同。「ひらがな盛衰記」、「浪枕月浅妻」・「風神雷神」、長谷川伸「盗人と親」、河竹黙阿弥「つり女」。




小津安二郎『鏡獅子』(昭和10年6月撮影)より、緞帳があがって今まさに菊五郎の踊りが始まるところ。先日ひさしぶりに見ていたら、歌舞伎座の緞帳が「ミツワ石鹸」で大喜び。




両国橋をわたって、ドトールでひと休み。アーサー・ケストラー/中島賢二訳『真昼の暗黒』を読了したところで(ゆるぎない訳文の密度がすばらしかった)、スクッと立ち上がり、江戸東京博物館http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/)に向かう。両国駅前のビアホールがなくなってしまったのは残念だなあと、エスカレーターで移動しつつ、両国駅を上方から観察すると、かつてのターミナル駅の残骸が伺えて、なんだかとってもおもしろいのだった。後日あらためて観察に出かけたいなと思ったところで、エレベーターで1階におりて、《よみがえる浮世絵 うるわしき大正新版画展》の展示会場へと足を踏み入れる。


三田評論」10月号掲載の、渡辺保、渡邊章一郎、内藤正人三氏の鼎談を読んで嬉しかったことは、ただでさえたのしみだった高橋誠一郎コレクション展がますますたのしみになったばかりでなく、江戸東京博物館で開催の新版画の展覧会もますますたのしみになったこと。これを拝読してモクモクと、高橋コレクションで浮世絵の歴史を通観したあとは、ぜひとも、江戸博へ新版画を見にゆき、江戸から近代へととつなげたいとがぜんやる気満々になった。三井本館の日本橋駿河町から、隅田川沿いを通って両国へ至り、新版画を見る、東京町歩きという点でもいいではないかと、ワクワクだった。


三田評論」掲載の鼎談の渡邊章一郎さんの発言に、《実は「版画」という言葉は明治の末、自分で彫って自分で摺るものだけが芸術だという考え方を持った、山本鼎など創作版画の人たちが初めて使った言葉》、《江戸木版画という観点からいっても巴水、深水までつながっていますが、職人さんの手を借りずに全部自分でやるという創作版画は、それまでのものとはまったく次元の違う版画》とあり、

 ただ、自分でやるのは結構なんだけど、職人さんが彫りも摺りも一人前になるには十年以上かかると言われている。だから、自分で彫って自分で摺るっていうけど、そうやって完成させたものが本当に自分が表現したいと思っていたものなのか。拙くて、それは本当に表現したかったものになっていないんじゃないのか。だったら自分で心底やりたいと思っているものを職人さんにじっくり説明し、彼らを手足のごとくうまく使って作った作品のほうが、完成度の高いものになるのではないか。
 そう主張して作られたのが新版画の作品で、まず創作版画があったから新版画が生まれ、そのおかげで浮世絵も少し長生きしたというふうに解釈できるのではないかと私は思っているんです。

というふうに続く。夏休みに兵庫県立美術館で見た《躍動する魂のきらめき――日本の表現主義》展の収穫のひとつが、前々から興味津々の、明治末の創作版画の誕生と大正の版画ブームへの流れ、付随する書物や美術家の諸相といったことにあらためて目を見開かされたこと。今月は、町田の国際版画美術館(http://www.city.machida.tokyo.jp/shisetsu/cul/cul01hanga/)で今年生誕百年の小野忠重の展覧会を見て、あらためて創作版画のことに思いを馳せる機会があった。そんな「創作版画の時代」と対照させるべく、あらためて新版画を見たいなと思ったところで、江戸博の開催に遭遇した次第だった。



と、そんなわけで、明治末からの創作版画の流れと対照させるべく、新版画の流れをじっくりと眼に刻むとしようと、いさんで展示室に足を踏み入れてみると、しょっぱなに目にするのは三越呉服店のポスター(の複製)。室町からテクテクと歩いてきた身にとってはたいそう嬉しく、ますます気持ちが盛り上がるというものだった。荷風を絡めた展示、おなじみの橋口五葉、いままで折に触れてなにがしかの展覧会で目にしてきたいろいろなことを、いままでなにげなく見てきたこれらの作品を、新版画運動という観点であらためて見直すひととき。そして、明治末から書物、演劇、美術、都市に思いを馳せながら、自分の頭のなかで再編成するひととき。いままでなにげなく見てきた役者絵があらためて面白いと思ったのも収穫だった。



《躍動する魂のきらめき――日本の表現主義展》に、大正3年3月に日比谷美術館で開催された「デア・シュトゥルム木版画展覧会」、ベルリンから帰国した山田耕筰と斎藤佳三が企画した展覧会で展示された作品のうち、杉浦非水が終世大事にしていた図版、というくだりがあったのをふと思い出して、そんな「ジャポニズムの逆輸入」といったものを思った時間だった。「三田評論」掲載の鼎談の渡邊章一郎さんの発言にある、《最近ありがたいことに、川瀬巴水伊東深水のこういう新版画が評判になってきているんです。もともと巴水も深水も外国人がそうであってほしいと思っている日本の風俗や風景を描いたものを作っていたので、実際外国では飛ぶように売れる商品だったのですが、日本ではそれほど売れるものじゃなかったんです。》というくだりがあって、なるほどと思ったものだった。今回の江戸博の展覧会の後半は、アメリカの蒐集家、ロバート・ムラーに焦点を当てたもので、コレクターという観点から絵画を見る、というのが前々から大好きなので、ワクワク。ムラー氏がお店めぐりをした戦前東京に思いを馳せるのもたのしい。もともと新版画の(特に巴水の)東京風景はもともとそれほど好みではなかったのだけれども、今回あらためて見てみると、ジャポニズムの逆輸入とモダン都市風景とが合わさった独特の画面がいいな、いいなと思った。特におもしろかったのが「モダンガール」が描かれた作品。新版画ととってもマッチする被写体なのだった。




笠松紫浪《春の夜―銀座》昭和9年。今回、特に心惹かれたのが、笠松紫浪の描くモダン都市風景。お土産に絵葉書を買った。




名取春仙《十一代目片岡仁左衛門 九段目 本蔵》(大正14年)、『創作版画春仙似顔集』より。この絵、大好き。岡鬼太郎の劇評を思い出して眺めてさらに嬉しい。山村耕花も名取春仙も、新版画運動の担い手、版元の渡邊庄三郎のすすめで新版画の役者絵師となった。