休日日記

朝いったん目が覚めて、「あ、別に今日は何時に起きてもいいんだ」と気付く瞬間は、毎週しょうこりもなく嬉しい。というわけで、見事に朝寝坊。早起きして新文芸坐へ映画を見に行こうと思っていたが、結局行き損ねる。阪妻の『雄呂血』をまた見逃してしまった。

午後は図書館に本を返しに歩いて、そのあと喫茶店でひとやすみ。谷崎潤一郎『初昔 きのふけふ』の『きのふけふ』があと少しで読み終わるところだったので、持参して読了。この喫茶店はいつもバロック音楽が流れている。しらない曲だったけど、そのチェロの音がとてもよかった。何という曲だったのだろう。店内の1冊100円のバーゲンブックコーナーにて「芸術新潮」7月号の盆栽特集を買った。堀江敏幸アンドレ・ブルトンに関する文章もあった。豆腐を買って帰宅。夕焼け空がえらくきれいだった。月はおぼろ月。もうすぐ十五夜だ。

落語メモ

9月3日は六代目三遊亭圓生の命日、それにちなんだ催しが各地であった。わたしの落語聴き始めは、ある夜なんとはなしに聴いた、NHKラジオ名人寄席」の放送で、人形町末広での圓生の実況録音『ちきり伊勢屋』の通しだった。落語に導いてくれた恩人としてわたしも圓生には感謝しないといけない。というわけで9月3日圓生忌の夜は、張り切って圓生イヴェントに馳せ参じた。

出かけた催しは、

というふうに、それぞれの噺のなかになにがしかの「江戸名物」があるという趣向。小三治のマクラでの圓生声帯模写に大笑い。どれもこれも聴けてよかったと思うものばかりだったけど、今回とりわけ心に残ったのが扇橋の「火事息子」だった。入門後3年で他界したという三木助のディスクで聴くはこびとほとんど同じで、その三木助的味わいがとてもよかったのだった。

……とかなんとか、前置きが相変わらず長い。朝寝坊のあと、部屋の掃除にいそしんだ。そのとき聴いたディスクが、三木助の「火事息子」。三木助のディスクで聴くと、定吉がなんかいいなあ。あと徳之助がなぜこんなに火事が大好きな火事息子になってしまったか、母親の口から明らかにされるその数奇ともいえる運命にふるえる。圓生の「火事息子」だと目塗りを塗るところの番頭さんと火事沈静化にホッとする父親の「くたぶれた、くたぶれた」という口調、親子再会の場面のおっかさんが好きで、三木助はマクラの半鐘のくだりが絶品、そこを聴いていて綿々と感じる江戸情緒のようなものがしみじみいい。