折口、谷崎、万太郎

今出ている「新潮」で折口信夫特集が組まれていて、渡辺保さんが折口信夫の『かぶき讃』のことをお書きでそこに六代目菊五郎、それにもちろん戸板康二の名前が登場している、ということを教わって、いそいそと図書館にチェックに行った。図書館でまっさきにくだんのページを開いたのだったが、これはぜひとも購入せねばと大急ぎで本屋さんへ。戸板康二の歿後十年の方に気をとられるあまり、今年が折口の歿後五十年であったことをうっかり見逃していた。まだ全部は読んでいないけど、特集全体がとても素晴らしい。

さらに、たいていの折口特集では見逃されてしまう晩年の芝居論に関する文章が用意され、しかも書き手が渡辺保さんであるだなんて、かえすがえすも素晴らしい。

折口信夫といえば、人はとかくその代表的な仕事として、国文学研究、歌集、小説を上げたがるし、事実そうには違いないが、折口信夫の本当の芸術家としての素顔、感性が素直に発露しているのは、晩年の歌舞伎について書かれたものである。》

《晩年に芝居について語る折口信夫は、つねに自由であり、これが最も重要なことだが、無防備なのである。天然の持ち味と身についた鋭い目。それが六代目への傾倒を自然に発露させたのである。》

戸板康二を知った頃、より戸板康二について知りたいと思ったそもそもの動機に、戸板さんが折口信夫門下だということを知ったからだったということもあった。その後、そんなには噛みほぐせずにいるけれども、そろそろ折口に向かわねばと思っていたところで、それは『かぶき讃』を絶賛する谷沢永一の文章がきっかけで、別の谷沢の本で折口の『口訳万葉集』が絶賛されてあるのを見て、ますます気になっていたところで今回の「新潮」の大特集。嬉しいことであった。大事に読んでいこう。

串田孫一『日記』(実業之日本社、1982年)に収録されていた、戸板康二による串田孫一宛書簡(→抜き書き帖)に、折口信夫が戦時下の文学として『細雪』と一緒に挙げていたのが、久保田万太郎の戯曲『波しぶき』。このことがずっと気にかかっていて、再読。三回読み返した。

谷崎潤一郎が東京の下町ッ子の定義として「正直で、潔癖で、億劫がり屋で、名利に淡く、人みしりが強く、お世辞を言うことが大嫌いで世渡りがまずく……」、「ハタから見ると何を楽しみに生きているのか分からないといいたいが、当人は天成の楽天家であるから、決して世を拗ねたり他人の幸福を妬んだりしない……」というふうに書いて「敗残の江戸ッ児」のことを描写していたけれども、久保田万太郎の作品に登場するのはまさしくこういう人たちばかり。そこに連なる言葉のなんとうつくしいこと。