鎌倉の休日

連休の初日は鎌倉へ。今日はかなりのんびりの正午の出発。いつもはほとんど地下鉄生活なので、地上の電車に乗ると「ああ、休日だなあ」と思う。通りがかるたびに思わず外を見てしまう車窓はJR の御茶ノ水と、丸の内線の四谷駅にさしかったときの一瞬だけ地上に出るところ。今日は御茶ノ水駅から見た聖橋と青い空のさまがとてもよかった。

鎌倉駅に着いてさっそく由比が浜通り沿いを鎌倉文学館に向かってテクテク歩いた。由比が浜通りを歩くと鎌倉に来たなあといつも思う。点在するお店とか建物の感じがなんだかとても好きだ。由比が浜通りに出る前にパンと水を買ってあって、文学館の庭園の木陰のベンチで遅い昼食にする計画で、文学館に着くと計画通り、木陰のベンチで海風に吹かれながらのんびり。ずっとここにいたいという感じに思いっきりくつろいだ。木々の葉のソヨソヨという音とちょっと遠くでは蝉の鳴き声が聞こえて、でもそれらは不思議と遠くでかすかにという感じなので、どこまでも静か。なんだか夏休みがもう一度来たみたいだった。

文学館のあとは、暑さにひるんで江ノ電に乗って鎌倉駅へ戻った。駅前の通りがかりの喫茶店でひと休みしたあと、鏑木清方美術館へ。美術館の前に来てみると「本日休館」の文字があり「ガーン!」となっていると、そこにいた警備員の方が「どうぞどうぞ」と言う。おそるおそる中に入ってみると、今日は明日からの展示替えにあたってのレセプションだったようだ。前期後期の前売り券を買えば誰でも入場可能だったのだ。よかったよかった。

美術館の中は、かつてこんなに多くの人をここで見たことがあっただろうか(反語)というくらい、たくさんの人たちで賑わっていた。展示室の展示物を凝視したあと、「お茶をどうぞ」と庭園の前の休憩コーナーに誘われて、やれ嬉しや、御相伴にあずかったのだった。外の庭には着物の御婦人がたがいらして、野点ふうにお茶をたてている。さぞ暑かったことだろう。そんなご婦人たちの姿をガラス越しに眺めつつ、お茶をいただく時間、気分はなんだか『細雪』のちょいと非日常のひとときだった。干菓子は豊島屋製なのだそうだ。


展覧会メモ

ここに来ると毎回のように見る絵もけっこうあるけれども初めて見る絵も必ずある。「道成寺」と「保名」が芝居好きにとってはついじーっと凝視してしまう衣裳の色使いだった。これに限らず清方の絵の着物の柄を見ると、幸田文が衣服がその人そのものを表わしているのだと書いていたことを鮮やかに思い出す。大好きな「朝夕安居」が見られたことも嬉しく、典型的「卓上芸術」の「夏の思い出」という絵も好きだった。明治末期の巣鴨の丘を背景とした絵を見たときは野上弥生子さんの『森』のことを思い出した。明治の東京も清方を見るたのしみ。


購入本


そ、そんなつもりではなかったのに! 美術館のあとは木犀堂と芸林荘につい長居。そのあとは小町通りの「門」にさらに長居。それにしても「門」はなぜこうもまあくつろげるのだろうと大感激の時間だった。背後のカウンターで食器の音がカチャカチャと聞こえてくるのがまた美しいのだった。

木犀堂の店頭の300円コーナーでふと手にとった。この本のことは前から知ってはいたけれども、串田孫一の編集というところに今日は目が離せないものがあった。見返しに「昭和58年 島森で求む」という書き込みがあり、それは同じ300円コーナーになった万太郎全集の端本にもあった。同じ持ち主さんだったようだ。

三月書房の小型本のうち前から特に読みたかったもののひとつ。三月書房の小型本は古本屋でよく見るけれども1000円までだったら買ってもいいという自分内ルールがあって、今回はちょうど1000円。わーいと嬉しかった。ところどころに挿入される奥野信太郎のきもの姿の写真がとてもいい。

あとがきには《戸板康二君から「ハンカチの鼠」を贈られたとき、本をみるなり、その造本がすっかり気に入ってしまった。まさにひとめ惚れである。そしてぼくもこのシリーズの仲間入りがしてみたいと思った。……》とあった。同じようなことを池田弥三郎も自分の小型本に書いていたことを思うと、戸板人脈が次々と新たな小型本を誕生させた面もあったと言えそうだ。というわけで、三月書房の小型本への愛着がふたたびわいてくる思い。

木犀堂が直々に出している串田孫一のうつくしい書物。まだ在庫はあるかしらあったら今日こそ購入しよう、と前々から心に決めていたのだった。ご主人(かっこいい)に伺うと「ありますよ」とのことで、高価だけどまさに機が熟しのだと思うと嬉しかった。

絵具は三十色あるが、それから三つの色を創り出し、形にならないように帳面の一頁を毎日塗る。それが新しい日記になった。悦びの一日が必ずしもそれらしい彩りになるとは限らない。そしてそれまで日毎に書いていた日記が、如何に欺瞞に満ちていたかを知る。(串田孫一『風に捲く歌』より)

芸林荘にも欲しい本が何冊もあったけれども、結局1冊100円と200円の文庫本を4冊買った。安い文庫本をひょいひょいと何冊か買うのって実は一番楽しい。


落語メモ

さてさて、本を買うために鎌倉に来たんじゃなーい! と、今回の鎌倉行きの一番の目的は雲助師匠だったのだ。本当は別の予定があったのだけれど、急きょ予定変更して鎌倉に来ることができたのだった。来られて本当によかった。

会の栞には、《圓生を聴くのに間に合わなかったと残念がる人も多いのですが「それよりいまの雲助さんを聴いたときの方が感動を味わっている」と最近思い始めています》というくだりが、会の主催者の方の文章にあった。もちろん圓生の生の高座を知らないが、わたしもなんだか最近そう思う。今回もわざわざ予定を変更して駆け付けた甲斐がありすぎるぐらいあった、『浮世床』と『唐茄子屋政談』であった。時間がないので詳細は後日どこかで(かな?)。