名月とソバの会

麻布十番の更科堀井でお蕎麦を食べた。かつては一番好きなお店だったけれども、前回来たのはいつだったか思い出せないくらいひさしぶりだった。店内にはいつも低音量でモーツァルトの弦楽五重奏曲 K515とK516が交互に流れていて、ここに来る度に「ソバにはモーツァルトがよく似合う」などといい気分になっていたものだった、が、今夜は音楽に耳をすませるのを忘れてしまった。モーツァルトは流れていたのかな。季節の変わりそばは青柚子切り。

「四月と十月」にチェーホフの『タバコの害について』のことがちょろっと登場していたことに触発されて、今日はこの巻のいくつかの小説を読んだ。この全集は大きさが程よくて手触りもとてもよくて、携帯にも便利。今回のようにひょいと思いついて『チェーホフ全集』の黒い本をバッグに入れて外出するということがしじゅうある。そのたびにいつもふつふつと嬉しい。第11巻は最晩年の小説と生前発表の一幕物の戯曲が収録されている。チェーホフの後期の小説を覆う境地を思うといつもぐっとくる。『恋について』のラストを読むといつもジンとなる。

どんなに悪が大きくとも、やはり夜は静かで美しい。やはり神様の世界には、この夜と同じ静かで美しい真実がある。そして、地上のすべては、月の光が夜ととけ合うように、その真実ととけ合う時の来るのを、ひたすら待っているのだ。(チェーホフ『谷間』)

聴いている音楽

2年前の9月はニューヨークフィルの開幕でムターがベートーヴェンの協奏曲を演奏するというので、あわよくば聴きに行こうとかなり本気でもくろんでいた。でも行けなくて、せめてニューヨークタイムズのサイトでレヴューをチェックしようと楽しみにしていた。結局それどころではなくなってしまったわけだが、ある時ふと思い出してチェックしてみると、「First Requiems, Then Resolve」というタイトル(だったかな)の記事で、ムターはキャンセルになってブラームスの《ドイツ・レクイエム》の演奏会が開かれたことを知った。この記事を読んで以来、しばらくチェリビダッケのディスクで《ドイツ・レクイエム》ばかりを聴いていた。

去年の秋か冬ごろに、ムターのベートーヴェンの新録音が発売になった。輸入版が出た時点ですぐに購入したものの、あまり聴き込んでいなかった。実はベートーヴェンの曲そのものがちょっと苦手だったのだ。初めて聴いたときは第一楽章のメロディの親しみやすさと崇高さが好きでよく聴いていたのに、いつのまにかちょっと苦手になってしまった。なぜだろう。繰り返しが多すぎるのだろうか。

それがこのところ少しずつ聴いているうちに、だんだんこの曲が見えてきた。つかめつつある気がする。今週は毎晩第二楽章を一回聴いてから寝ている。第二楽章の響きがちょっと胸に残っていて、日中ふと思い出してジンとしていたりする。ムターの弱音のニュアンスが実に素晴らしい。

いよいよもうすぐ、アンドレ・プレヴィンのヴァイオリン協奏曲が出るのだが、どんな曲だろう。聴きこなせればいいなと思う。