歌舞伎座行き

今日は母との観劇、お昼はひさしぶりに弁松のお弁当を食べた。芝居見物のあとの銀座そぞろ歩きもいつもながらたのしい。母が買った今日発売の「クウネル」に武田花さんのインタヴュウがあって、芝居見物のあとの喫茶店で見せてもらったりした。

歌舞伎座の昼の部の見物に行った。劇場に入場したとたん11月の顔見世の演目を知った。もう、大興奮! 

「顔見世」の名にふさわしいこの充実度、とりわけ『船弁慶』が楽しみー! 『石切梶原』も『盛綱』も『河庄』もたーのーしーみー! とひたすら興奮は続くのだったが、11月のことよりも今まさに始まろうとする舞台の方に集中せねばと必死に体勢をととのえて、劇場の椅子に向かったのだった。


今月の昼の部の演目は梅玉の『毛谷村』と吉右衛門の『河内山』、間に芝翫の『業平』と富十郎の『喜撰』が入る。吉右衛門の『河内山』がもう磐石という言葉がぴったりな感じに素晴らしかった。「肚」という言葉を身体で実感できる台詞まわしとところどころのちょっとした所作、身体全体でジンワリと味わって爽快、いかにも明治の黙阿弥の洗練された世話物の世界、前半の質屋の店先と後半の武家屋敷との対比。又五郎さんの姿をひさしぶりに拝見できたことも嬉しかったこと。芝翫の『業平』の途中でかなり大きな地震歌舞伎座全体がどーんどーんと揺れ、そういえば観劇中に地震に合うなんて初めてだった。実はちょっと楽しかった。

と、吉右衛門の『河内山』にひたすら興奮という感じだった昼の部だったけれども、梅玉の『毛谷村』も丸本歌舞伎の演出という点で見どころたっぷりでとても面白かった。去年12月の国立劇場の通し上演の記憶が鮮明なので、より楽しめたのではないかと思う。お園は歌舞伎の女形のなかでもとりわけ好きな人物。通し上演のとき、初っぱなから酔っぱらって帰宅するシーンがとてもかわいかった。

『毛谷村』は戸板康二曰く「地味であるが、たのしく、面白い芝居である。僕は少なくともそう思っている。そして、それは、梅や椿や鶯の風物よりも、よき人のよき心が春を感じさせる所が、いいと思うのである」。と、まさしくその通りに、六助という善良で気持ちのよい男の描写もよいし、お園の人物造型もよくて、そして、六助の住居をとりまくつつましく美しい生活描写がわたしは大好きだ。下手の厨の小道具、前半お幸のために六助がお茶を入れるシーンがさりげなく挿入されていたり、中盤にお園が釜を炊こうとしてあわてて上手の方の手水鉢へと釜を運ぶくだり、その釜がお園の語りのアクセントになるところなどなど。

小道具といえば、芝居全体で小道具使いがとても練り上げられていて、子供をあやすときの太鼓と枕屏風を使った見得やお園の碓など注目してしまう箇所が目白押しで、それらをひとつひとつ処理していく役者さんの動きを葵太夫義太夫に耳を傾けつつ凝視するのがなんともたのしいのだった。

あと特筆すべきは、六助の衣裳。当初に着ているのは縞の柄に肩入れがついている着物、帯はおそらく勘平と同じ土器茶だ。ラストで着替えるシーンもとてもよくて、今度はあられの裃に下は灰色がかった水色のきれいな色のきもの、帯だけは同じく土器茶の帯を使っている。と、両方の着物に絶妙にマッチする土器茶の帯が「あっ」ととてもよかった。『吃又』の着替えるシーンといった、浄瑠璃の着替える系譜のようなものに関する戸板康二の文章があったかと思う。あとで探してみよう。

と思って帰宅して本をいろいろめくってみたら、今日の舞台を見ているだけではいまいちよくわからなかった斧右衛門の役の意味がよくわかって面白かった。初代吉右衛門が六助を初演したときに六代目菊五郎が御馳走で演じたらしい。ちょっと想像しただけでも心が躍る。今日の『河内山』の幕切れで、大向こうから「おじいさんそっくり!」と掛け声があがっていたけれども、歌舞伎を見るたのしみは現在の芝居を見つつも、過去の名舞台に思いを馳せることができるところにあるのだなあとしみじみ思うのだった。

今度歌舞伎座に行くのは、たぶん11月、今からとてもたのしみだ。