大公トリオ

数日前に人から「村上春樹の『海辺のカフカ』を読んだら、ベートーヴェンの大公トリオというのが聴きたくなったから、持っていたらMDに落としてほしい」というようなことを言われていたのを思い出した。『海辺のカフカ』は相当よかったらしい。そんなこんなでひさしぶりに《大公》を聴いた。クラシックを聴き始めたまなしに買った、アシュケナージパールマン、ハレルのディスク。

と、ひさしぶりに《大公》を聴いたのは昨晩のこと、今朝目を覚まして、しばし布団のなかでぬくぬくしつつ、ぼーっと《大公》を聴きつつ、すっかりいい気分だった。ベートーヴェンのこういう曲調の曲って本当にいいなあと思う。前々からムターの演奏で聴いて大好きなヴァイオリンソナタ第10番と作品番号は1番違い、このあたりのベートーヴェンの境地って何だろう。本当にいい曲だ。と、朝食のあとはしばしソファでムターのディスクを聴いた。

そして、まだハマっているのがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、フィナーレの中盤以降の音の流れに夢中になってしまった。また第一楽章に戻っていくつもり。

《大公》で思い出すのが、内田光子さんがいつかのトークショウで、エドウィン・フィッシャー盤を絶賛して「この曲そのものだ」とおっしゃっていたこと。そのディスク、今でも買えるのかな。