敗戦直前の東京

井上ひさしの『東京セブンローズ』を読みたくなり、文春文庫上下巻を買った。急に読んでみたくなったのは、さる方より昭和20年5月の新橋演舞場における六代目菊五郎の演説のことが引用してあるということを教えていただいたのがきっかけだった。

敗戦直前の昭和20年5月、菊五郎新橋演舞場で孤軍奮闘していた。役の扮装のまま幕外に出て観客に挨拶し、千秋楽の5月25日まで毎日挨拶をした。初日から数日後に羽左衛門が他界し、千秋楽の直後25日から26日にかけて東京は最後の大空襲にみまわれ、演舞場も歌舞伎座も焼失している。菊五郎の挨拶はえらく感動的で、これと連動するようにしてさまざまなものが崩壊し敗戦を迎えるというわけで、このあたりの年月のことをいろいろな本で追ってみると心にズシリと重たい。

と、手に取る前から盛り上がってしまった『東京セブンローズ』だが、今日やっと購入、菊五郎の口上のことは初っぱなに登場するわけで、菊五郎の口上で幕をあけたともいえるこの小説、さあこれからが楽しみだ。

日本で一番古い橋だという石橋を渡り、淡島様にお詣りして、私たちはベンチに腰をかけ、至極のんびりと豆を噛った。左手には、焼けた国際劇場が見え、正面の公園入口からも、焼野原が見えているのだが、銀杏、欅、ヒマラヤ杉などの新芽新緑が、別天地を作っている。森閑とした、山奥にでもいるような感じである。陽もまた実にうららかである。浅草の観音様の境内にいるとは、どうしても思えない。豆は、南京豆と大豆で、これは渋沢氏が封筒に入れて持参したもの、久保田氏も私も、両手を出して受け、一粒ずつ味わいながら喰う。しみじみと大豆の美味しさがわかる。(徳川夢声夢声戦争日記』昭和20年4月28日より)

映画メモ

東宝市川崑の映画はタイトルバックのデザインが河野鷹思だったりして初っぱなから胸が踊るのだが、『恋人』では池部鈞のカットを使っている。ワオ! 親子共演という感じで、今回も素敵なタイトルバックだった。結婚の前日、幼さじみの池部良とデートに興じる久慈あさみ。映画はちょっと変わったつくりになっていて、その変わった感じのところがとても好きだった。チェーホフの『ワーニャおじさん』に対してロジェ・グルニエが書いていたこと、「生まれる可能性がありながら生まれることのなかった恋のあいまいさ」のようなものが根底にあって、なぜこんなに仲がよくて娘の両親とも親しくてお似合いの青年ではなくて他のひとと結婚することになったのだろう、映画ではそのことにはまったく触れない。とまどいながらも久慈あさみについていく池部良の好演がとてもよかった。ヴィヴィアン・リーの映画のスクリーンやスケート場での音楽やダンスシーンが長く続くことによって生じるドキュメンタリータッチがとてもかっこよかった。そこが普通の映画とちょっと違っていて、スクリーンのうつろいを眺めているとあいまいではあるけれども「人生」のようなものをなんとなく感じて、そこにただようちょっとした切なさがよかった。