ミルクティ

行きたかった展覧会に立続けに行き損ねてしまったことに気づいた週明けだった。帰りにビルの向こうに見える、日没直前の空がとてもきれいだった。これからますます日没が早くなると思うとちょいとしんみり。毎年10月下旬から11月いっぱいは必ず体調が悪くなる。今年もそうなのかな、体調よく過ごすにはどうしたらよいのだろう、食事と運動かな、ひじきと油揚げばかり食べているようではよい知恵は出ないと言うし、とりあえず今晩のおかずはどうしよう、なとど思いつつ駅まで歩いているうちにいつのまにか日が暮れていた。

聴いている音楽

このところ毎晩、ミルクティを飲んでいる。ミルクティを飲みながら、ベートーヴェンの大公トリオの第三楽章のアンダンテカンタービレを聴く時間が待ち遠しくてたまらない。あの深々と入っていく感じがとてもいい。

購入本

戸板康二の追悼文が収録されていると教えていただいて、昼休みさっそく買いに行った。コピーをとっている「オール読物」初出の文章だけではなく、初めて見る「小説現代」初出の追悼文もあり、そちらは戸板さんの俳句を交えて綴ったもの。先週の小三治独演会といい、立て続けに思いは「東京やなぎ句会」へ。……などと、戸板康二だけが目当てで買ったわけではなくて、本書のメインは徳川夢声の『話術』をもとに小沢昭一が話芸について論じた「話術話芸の不徹底的研究」、とても面白くて帰りの電車のなかで一気読み。夢声の『話術』を読んでみたくなった。

本日のメモ:「生活のたのしい習慣」

落語会メモ

金曜日、日比谷線に揺られてとろとろと西新井へ行った。北千住の先の東武線に乗ったのは今回が初めて、駅のホームの木のベンチが昭和ふうたたずまいでなんだかよかった。西新井から歩いてすぐのきれいなホールでの独演会。初めて訪れる町なのだから、休日にゆっくり来たかったなあとちょいと残念でもあったが、知らない町に行くのはやっぱりいつもたのしい。落語のおかげでここ数ヶ月、初めての町にけっこう行っている。

   (中入り)

この前に三三さんの高座があったのだが間に合わず。小三治の『こんにゃく問答』から着席。演目は事前に発表がなくて(たぶん)、何をやるのかなーとワクワクするのもまたたのし、だった。『こんにゃく問答』の前にはおなじみの長めのマクラ。と、独演会ならではのマクラがとても嬉しい。「東京やなぎ句会」で旭川へ行ったお話がやなぎ句会ファンとしては大喜び、名月の直前に火星が月に近づいたサマを高田馬場にて偶然見たこと、そのときの句を句会前につくり、そこにエネルギーを集約したため句会では最下位だったこと、東京では猛暑に見まわれているころ旭川は3度の厳寒で帰京直後に当地は地震があったこと、旭川の途中自動車から下りてみると星空がパ―ッと一面に広がっていてそれはそれは見事だったこと……などなど、こんな感じに文字にしてみたってちっとも雰囲気が伝わらないような、小三治の語り口が醸し出す空間に居合わせているときのあの気分、よかったなアと追憶すると、ただただため息のみ。

『こんにゃく問答』は先月、鈴本で市馬さんのを聴いたばかり、今回が二度目。今度は小三治で聴けるとは! とびっくり。こんにゃく屋の親分が実にかっこよくてシビレる。都落ちした江戸っ子が登場のこの噺、そこかしこにただよう江戸っ子気質がとても微笑ましくて、火事だってんで頭巾をかぶって見物に行ったとかそんなディテールがいいなア。そして、『備前徳利』は今月初めに「圓生物語」にて同じく小三治で聴いたばかり、もう一度聴けて本当によかった。三代目小さんがやっていたというこの噺、現在ではあまり演じ手がいないとのこと。酒に生き酒で出世し死んだ父とその息子の物語。全体的にわりかしあっさりした感じなのだけれども、時折のぞかせる酒という魔物にとりつかれている感じ、ス―ッと深淵をのぞかせている感じが小三治の噺を聴いているとそわっと肌で感じることができる。そのことでホール全体がひとつの大きなベールで覆われている感覚がする、何かに包まれているかのように耳を傾ける、となんといったらよくわからぬのだけれども、小三治の高座に接するといつも思うあの感じをシンシンと味わうことができて、余韻がとても濃厚。あっさりしているのに濃い。なにげなく聴いていても、あとになって実はスゴイものを聴いたのではないかとソワソワしてくる小三治ならではの味わいを満喫した一夜だった。

と、翌日も小三治を聴くというめぐりあわせ。

   (中入り)

いつものアンニュイなおしゃべりの中に絶妙に噺の小道具が盛りこまれてあるという喜多八のマクラからの流れに舌を巻き、志ん橋の『鮑のし』にも引きこまれっぱなし。小三治、今日はマクラは短くすぐに噺に入っていった。昨日の『備前徳利』と似た、お侍とお酒が登場するが、こちらの方は江戸っ子の商人が登場することで噺の奥行きというかなんというか、いかにも落語的な世界で面白いなあと思った。三度酒の持ちこみをチェックして飲んで飲んでぐでんぐでんになってくる、その回を増すごとの酔いっぷりがものの見事に鮮やかだった。今回聴いた4つの噺は今まで速記本でもあまり触れたことのなかったものばかりだったのだけれども、いかにも落語的な落し噺ばかりでそれぞれの魅力を満喫した。わたしが落語に入っていったのは人情噺が最初で、むしろ落し噺の方に時折とっつきにくさを感じることがあったのだけど、だんだんむしろ落し噺の方に悦びを見出す自分を発見、このところ落語の魅力がより深く味わえているような気がしている。浪曲を生で聴いたのは初めて、土曜の深夜などに「ラジオ深夜便」で浪曲の放送があると嬉しくていつも楽しんでいた。今回の『幽霊貸家』、京橋の長屋の遊び人と元芸者の幽霊、山本周五郎の原作で大西信行脚色のかもしだす世界がもう「ク―ッ、かっこいい!」とツボなのだった。俗曲の時間も寄席のちょっとしたおたのしみ。ちょっとしたお座敷気分がなんか好きだ。万太郎作詞の小唄をいつか聴きたいなあ。などなど、寄席は総合的にたのしくて、まだまだ止められそうにない。

と、たいへん満喫した国立名人会だったけれども、唯一の欠点は国立演芸場への道筋があまりにも味気ないこと。どなたかが「こんな辺鄙なところまでようこそ」というようなことを言っていたけど、まさしくその通りなのだった。よいお天気の土曜日の午後、寄席のあとは殺風景な人気のない道を歩いて、神社を越えて赤坂でコーヒーを飲んだあと青山に行った。