最近買った本

木曜日、ちょっと寄り道気分だったのでふらっと銀座へ向かった。その途中、ふだんはめったに立ち寄らないプランタン横の古書市をなにげなく眺めていたところ、三木卓著『小噺集』を見つけた。ほかには『三好十郎日記』という本を立ち読みしたりも。

これまでの年月や過去の体験を綴った連作集で、それぞれの短篇のタイトルが落語のタイトルになっているという仕掛け。本読みの快楽の金子さんに教えていただいた本。前から気になっていた書き手で、どんな感じなのだろう、楽しみだ。

これは奇縁だ、これまた前から気になっていた講談社文芸文庫三木卓『路地』を買いに行こうと、いそいそと教文館へ。戸板康二の復刊『歌舞伎十八番』、前に来たときは4冊だったのに今度は5冊になっている、1冊売れたと思ったのは錯覚だったとガッカリしたあとで、文庫本コーナーへ。『路地』を買うつもりだったのに、ちくま文庫と文春文庫の新刊に目がくらんでしまった。買ったのはまたもや落語本。

目次を眺めると、日頃からディスクでおなじみの噺ばかりで解説を読むのがさらに楽しかった。これまで一番頻繁に再生していたディスクといったら、ダントツで志ん朝の「唐茄子屋政談」であった。京須偕充さんの解説は、圓生正蔵、もちろん志ん生など、志ん朝の上の世代の噺家との比較を交えているので、おのずと世代論みたいになっているところがとても面白い。

さらに、世代的なことだけではなくて、志ん朝ならではの特色が浮かび上がっていて、たとえば「おかめ団子」における《人物の登退場をいい呼吸で、また絵のように表現するのは、他の人には真似の出来ない特色だったが、これは芝居経験から得た演劇的手法だろう。》というくだりに「なるほど!」となったりした。それから、欠点のある噺でも「弁解がましい改造はせず、理屈の攻撃をサラリと」かわして、「話術のもたらす満足で問題を骨抜きにしてしまう」志ん朝の離れ業に関することなどなど、京須偕充さんの解説の見事なことといったら! 「甲府い」みたいな特になんというところのない噺も志ん朝ディスクで聴いて大のお気に入りで、豆腐屋主人の客とのやりとりのくだりが志ん朝ならではの特色だったことを知った。あのくだり大好きだったから、そうだったのか! と嬉しかった。

「百年目」のところでは、亡くなる年に朝日名人会で「百年目」をお願いしたら、ちょっと疑問があるから今はやりたくないと言われたというくだりにグッとなった。その志ん朝の疑問が何だったのかもう永久に謎のままだ。でも、残されている志ん朝ディスクの「百年目」、一分の隙もない見事さなのだった。

落語に夢中になったのは、なんといっても矢野誠一さんの書物のおかげ。文春文庫の矢野誠一著作は文庫本棚のもっとも取り出しやすいところに並べてある(旺文社文庫江國滋の落語三部作も同様)。部屋の本棚の矢野コーナーに新しい本がまた1冊加わる。こんなに嬉しいことはない。

と、「BOOKISH」の落語本特集を読んだばかりというタイミングで、どんどん新しい落語本が部屋の本棚に増えているのだった。


金曜日、10日以上神保町に行っていないのでなんだかムズムズしてきたー、と一日中頭は神保町へと行ってしまっていて、そんなこんなで夕刻いそいそと神保町へ。すっきり。

先月は「新潮」で折口特集に出会ったばかりだというのに、今月は「三田文学」で折口特集! 東京堂に突進して即購入。「三田文学」を新刊で買ったのは今回が初めてだ。武藤康史さんの「『三田文学』の歴史」という連載が面白くて大興奮。とても長い連載になりそうだけど、これこそ本になるのが楽しみ。とりあえず、図書館へバックナンバーをコピーに行かねば。

今回の神保町行きのもうひとつの目的、飯塚くに/小西聖一編『父逍遥の背中』(中公文庫、1997年)の方はあいにく版切れで断念。帰宅後ネットで申込みをした。