お会式のあとで

今日は前々から鈴本へ行こうと決めていた。ので一日中頭のなかは鈴本へ行ってしまっていて、そんなこんなで夕刻、いそいそと鈴本へ突進。

    (仲入り)

なにしろ突進したので、今日はわりと早く来ることができた。二つ目に昇進のさん市改め喬之進さんの途中で入場。椅子に坐ったとたん「堀の内」だとすぐにわかって嬉しかった。この噺、レコードで聴くよりも高座で接する方が各段に面白い。噺のリズムに身体全体でウキウキという感じで愉快愉快。さらに嬉しかったのが、お会式が終った直後にお祖師さまゆかりの落語を聴くことになったというめぐりあわせで、その季節感がたまらなくよかった。

戸板康二の「お会式」という文章を読んでからというもの、お会式を少しでも見物したいなあと思いつつも毎年つい見逃してしまって、今年も見逃したばかり。ただ戸板康二が《そういえば、もうひとつ、お会式の夜はよく雨が降った。統計的に、十月中旬は雨が多いのだろうが、江戸のころから「雨が降ればお祖師様が来ていらっしゃる」といった。…》と書いていたことがとても印象に残っていたので、ここ2、3日の雨降りをちょっと嬉しがっていたりもしていた。来年のお会式も雨が降るのだろうか。とかなんとか、「東京かわら版」にも暦のページがあるけれども、落語に親しむようになってから、歳時記的なことにさらに関心がいくようになったのは嬉しいことだ。

と、鈴本に入場したとたん「堀の内」というめぐりあわせに大感激で、ああ、来てよかったと強く思ったのだったが、これから先も「来てよかった!」の連続で、とても充実した一夜となった。権太楼の愛嬌はいつ見ても愉快で、そして雲助師匠! ひさしぶりだなあと大感激(といっても一ヶ月ぶり)。「墓見」は今日初めて知った噺だった。向いの長屋の連中に亀戸に萩を見に行こうと誘われて行きたいのについ断ってしまった偏屈者の源兵衛さんがオレは墓見だてんで谷中へ行くのが発端。亀戸に萩というのもいいし、谷中へ墓見というのもいいじゃないですか! と、落語の東京地図にはいつもワクワクで、いつも思うことだが、雲助師匠にかかると長屋連中の会話の様子がそのまま歌舞伎の生世話ふう味わいでそこがいつも無類にかっこよい。幽霊に恩返しされる源兵衛さんの隣人は狐に恩返しされるという展開で、実は正体は狐のおかみさんが会話の端々に「コンッ!」が入ることで狐の本性をのそかせる。その「コンッ!」のかわいらしいことといったら! 先月の国立名人会で聞いた喜多八さんの「茄子娘」のことを思い出したりもした。

というわけで、雲様を堪能できて言うことなしで仲入り後、思いがけなく芝居噺を聞けてしまったのにまた大感激。三太楼さんが「平成中村座をよけてよくぞこちらへいらしてくださいました」というようなことを言って始まったのが「七段目」。「菅原息子」や「芝居風呂」みたいに、芝居好きが嵩じて日常生活にまで歌舞伎のセリフをとりこんでまわりを困らせるみたいな、筋だけ見たら特になんというところもないのが、日頃歌舞伎を見ている身にとっては、これが極上に嬉しい。ひとつひとつにセリフにいちいち大笑い。今回の「七段目」は音曲もきちんと入って、言うことなしという感じだった。

と、それぞれ堪能したあとで迎えた、トリのさん喬。さん喬さんもこの人が登場していると「おっ」と聞きに行きたい気にさせられて、そしていつも期待を裏切られたことが絶対にないという噺家さん。最近だと7月は朝日名人会で「ちりとてちん」を聞いて、8月は鈴本で「包丁」を聞いた。そして、今回の「按摩の炬燵」、今日初めて知った噺で、すーっと引きこまれていつまでも余韻が消えない。それにしても素晴らしかった。今日の鈴本は要所要所もたのしかったけど、ラストでズドンとやられたという感じだった。

大店の番頭さんと店子と番頭さんの幼馴染の按摩のある寒い一夜の物語。そこから立ち上る世界は、底冷えする江戸の商家の木造建築だとか、毎日一生懸命働く店子だとか、酸いも甘いも噛み分けた番頭さんだとか、そういう彼等を他者の視線で観察している按摩に、お燗をつけた酒がおいしい季節感などなど、落語を構成するいろいろな要素が重層的に詰まっている。その重層性がさん喬さんのきめ細やかな表現でジンワリジンワリと身にしみてきて、なんだかちょっと泣けてきた。それぞれの登場人物の描き分けが実に見事で、登場しない旦那さんやおかみさんの姿も見えてくるかのよう。按摩のまなざしのようなものがしみじみと染みこんできて、発想が思いっきり単純ではあるが清水宏の『按摩と女』という映画のことを思い出した。いい映画だった。

……などなど、お祖師さまの「堀の内」で始まって「按摩の炬燵」で終った今日の寄席。季節感がひときわ身にしみた一夜だった。感激をあまりうまく言葉にできないのだけれども、いろいろな意味で一生忘れられないような一夜になりそうな感じ。

そろそろ熱燗をグイグイといきたい頃だなあと思ったり、「二番煎じ」とか「火事息子」とか「鰍沢」みたいな噺をどこかの寄席で聞きたいものだとかいうようなことを思いながら、家に帰った。