奥村書店と京橋図書館

日が没してみると「くたぶれた、くたぶれた」と、寄り道する余力など残っていなかったのだったが、返却期限がとっくに過ぎている本があったので、一日も早く京橋図書館へ行かねばならぬのだった。

その通り道、ふらりと奥村書店1軒目に足を踏み入れた。旺文社文庫版の安藤鶴夫『落語鑑賞』上下が売っていた。江國滋が解説のこの文庫、前々から欲しかったので、わーいと買った。思えば、初版の苦楽社版『落語鑑賞』の木村荘八の装幀のことを小林信彦の文章で知ってどんな本だろうと見に行ったのもこのお店だったし、その苦楽社版を買ったのもこのお店だった。奥村書店には『落語鑑賞』がよく似合う。この本に導かれるようにして落語に惹かれていったのだった。

昭和通りを越えると奥村書店がもう1軒。ふらりと足を踏み入れた。野口冨士男の『流星抄』が売っていた。野口冨士男の未読本、値段を確認すると500円だったので、迷うことなく買うことに。1冊手にとって気が大きくなって、またもや安藤鶴夫の本、『ある日、その人』を手にとった。宮田重雄の挿絵に惹かれて、これも一緒に買うことに。

疲れ切っていたのに図書館にたどり着いた頃にはすっかりハイ。せっかくここまで来たのだから、本を返すだけで帰るのはもったいない。国立劇場の過去の上演資料集を閲覧、来たる歌舞伎座行きに備えて、「石切梶原」「船弁慶」「盛綱陣屋」に関するところをもれなくコピー。資料収集は張り切るものの、いざ当日になってみると散漫に終ってしまうことが多い。気をつけたい。

奥村書店と図書館でハイになったものの、再び外に出てみるととたんに疲れてしまった。銀座へ戻る気力もなく地下鉄に乗り込んだ。喫茶店でコーヒーを飲んでひとやすみ。朝日の夕刊で吉田秀和さんの「音楽展望」を目にして、ジーンとなった。「音楽展望」を読むのはわたしにとっては何ヶ月かぶりだった。嬉しい。フェリアーのブラームス《4つの厳粛な歌》を聴くことを決意。

三國一朗のエッセイに近藤日出造展の会場から坂東玉三郎の似顔絵が盗まれたくだりがあって、ここに「中村雅楽の名推理に期待しよう」と書いてある。

ということを、いただいたメイルで知って、和む。


購入本

安藤鶴夫の鑑賞シリーズリストは以下の通り。

    • 『落語鑑賞』苦楽社、昭和24年
    • 『落語鑑賞』創元社、昭和27年
    • 『わが落語鑑賞』筑摩書房、昭和40年
    • 『名作聞書(上下)』読売新聞社、昭和30年

内容、配列などいずれも少しずつ異なっていて、それぞれ特色をもっている。この旺文社文庫版は、『名作聞書』の講談類と『わが落語鑑賞』の語釈を割愛し、再構成に際して、上巻を桂文楽所演のものに統一し、苦楽社版の後書きを添え、下巻に苦楽社版の「四代目小さん聞書」を添えている。現在のちくま文庫版(ISBN:4480027165)は上記の昭和40年版を底本としている。それぞれの微妙な異同を知ると、なにやら、全册揃えたくなってくるのだった。

長年河出の「文藝」の名編集長だった寺田博のすすめで編まれたのだそう。『白鷺』(昭和24年)、『暗い夜の私』(昭和44年)に続く第3短篇集。

巻末に人名索引があってたのしい。戸板康二ももちろん登場。函は佐野繁次郎の題字だけども、正直たまに辟易することがないでもない。中の宮田重雄の挿絵がとてもいい。獅子文六との名コンビで知られる重亭、このある種の風合いがたまらない。この人も「いとう句会」にいた。