モーツァルトとエスプレッソ

今日も「くたぶれた、くたぶれた」と疲れ切って帰宅。ラジオのスイッチを入れると、N響の実況でちょうどモーツァルト交響曲第39番が始まるところだった。ソファに寝転がってしばらく寝てしまって、このまま寝てしまうんじゃないかという感じだったのが、第4楽章に入ったところで目が覚めた。眠かったはずなのに、たたみかけるようなキリリとした間を伴った音楽を耳にするうちに急に浮き浮きしてきた。ラジオが終わると、だらけていてはいけないと急に気が引き締まった。エスプレッソを飲みながら、アーノンクールのディスクでもう一度モーツァルト。39番の第3楽章から聴いた。ここの途中で、急にテンポが変わってクラリネットが二重奏を奏でるところの快感といったら! ここの瞬間がアーノンクールは無類にいい。そして、フィナーレをもう一度聴いて、やっぱりいい。モーツァルトエスプレッソのおかげで、だいぶテンションがあがってきた。

と心持ちよくマックのスイッチを入れてみたら、母親から届いていたメイルで一気に奈落の底へ。富十郎歌舞伎座を休演してしまったとのこと。ああ、なんということだろう……。『船弁慶』、ぜひとも花道を見たいと無理矢理母を誘って(切符代は母持ち)一階席をとってあったのだったが間に合わなかった。幕見で二日目に見たっきりになってしまった。あの日、天井桟敷から見た静の舞のことが鮮やかにじわりじわりと脳裏によみがえる。

富十郎に注目しだしたのはいつからだっただろう。初めて歌舞伎座に行ってから2年以上たって歌舞伎座を再訪したのが1998年のこと、羽左衛門の高時があったのと同じ月に富十郎の何かの踊りを見て、急に胸がキューンとなったのが始まりだった。その月は仁左衛門の『女殺油地獄』にも揺さぶられた。羽左衛門も先代三津五郎さんももういない。その年の顔見世は『紅葉狩』でその富十郎のことも鮮やかに覚えている。『加賀鳶』の道玄なんかも忘れ難い。去年の菅原の武部源蔵も忘れ難い。今年の『双蝶々曲輪日記』、『吃又』……、などなどいろいろ思い出すけども、わたしにとって富十郎といえばなんといっても『浮かれ坊主』なのだ、あれを見たのはいつだったっけ。と、走馬灯のように富十郎の姿が頭のなかを駆け巡って、ちょっと泣けてきた。

おっといけない。思わず追悼してしまった。週末までには復活することを祈っている。