上野と浅草の休日

わりと早くに外出。上野広小路に下り立って、東京国立博物館に向って歩いた。「四月と十月」にあった、上野広小路の交差点に立って見ると「上野のお山がこんもりと緑色に遠景に見える」という一節のことを思い出した。青い空の下、枯葉の舞い散る木陰から太陽光線がキラキラと漏れるさまに見とれながら博物館に向って歩く時間がとてもよかった。お酉さまが終わって、空気が一層澄んだような気がする。気持ちまで冴え冴えとしてくるようだ。

午前中は東京国立博物館の常設展示を練り歩こうという計画だった。この博物館に来ることなくここ数年が過ぎていた。じっくりと堪能したあとで、開放中の庭園を散歩した。上野の博物館に来るといかにも「東京の休日」という気分を満喫できる。すさんだ日常を忘れて思いっきりくつろいだ気がする。黒門から外に出て、前々から気になっていた黒田清輝記念館をちょろっとのぞいたあと、浅草に向かってテクテクと歩いていった。

途中、合羽橋の商店街に興奮したりなんかして、幾度か寄り道をして、いざ浅草。浅草に来るのはずいぶんひさしぶり。歩き疲れたので、ローヤル珈琲店でひとやすみ。ここの「ロワイヤル珈琲」が好物なのだった。入り口附近の席の感じがウィーンのカフェみたいでなんだかいい。

そのあとは、浅草演芸ホール。昼夜入れ替えなしなので、昼の部のトリのさん喬と夜席のトリの雲助を両方聴けたという、ぜいたくな一日だった。

数年ぶりに訪れた国立博物館だった。ずっと行かないでいたなんてなんてもったいなかったことだろうと大反省、当然だけどすばらしい展示の目白押し。西洋美術館、近代美術館とともに、今後も折に触れ訪れたい常設展示だ。

まっさきに入室することになった「江戸と桃山の陶磁」特集にさっそく大興奮。まず江戸の方をさらっと見て、桃山の方へ行ってじっくり凝視、ふたたび時代をたどって江戸へ、という順路でずいぶん長居をした。桃山の「造型美」と江戸の「装飾美」といった対比がされていて、千利休という存在を背後に楽焼の風合い・かたちの美しさ、いつ見てもそのアヴァンギャルドなデザインにうっとりの織部唐津小三治の「備前徳利」の記憶を胸に眺める備前焼の野趣、そして高度な趣味性が発揮されている京都の焼き物の雅、先ほど眺めていた桃山から100年後のおおよそ「忠臣蔵」と同時代の伊万里、「かぶく」の陶器版ともいえる古九谷の色合い、などなど、ひとつひとつのガラスケースを凝視してそれはそれはたのしかった。浮世絵の展示もたのしく、そしてやっぱり大興奮は染織コーナー。ここでは江戸の「いき」と「かぶき」という対比で展示が構成されている。江戸の日常着、小紋と唐棧縞といった地味好み、これこそがかねてからの憧れであるので、あらためてガラスケース越しにながめてその美しさに陶然となった。凝視凝視。簪の展示にもうっとり。歌舞伎関係だと、「御浜織八丈」と銘打ってあった伊勢音頭の衣裳に使用されたという紫と浅黄の配色の格子の色合いがとてもよかった。

2階は「日本美術の流れ」という時系列展示。ここでもやっぱり「茶に遊ぶ」コーナーが嬉しい。先ほど眺めていた陶磁器の再構成を見るような感じもして楽しかった。桃山・江戸のところでは「秋の意匠」ということで、秋の風景や草花などがモチーフとなっているのを凝視して、窓から見える木々の紅葉と澄んだ青空のことを思い出して、その季節感がたまらなくよかった。季節感といえば重要文化財の「観楓図屏風」のなんと素晴らしいこと。紅葉狩りに興じる人々、京都の洛滝川、右岸ではご婦人がお茶やお酒を飲みながら談笑、左岸では車座になった武士が謡を謡いながら舞って酒宴。あと、根付の展示にも興奮。尾崎紅葉の父・谷斎の根付をいつの日か生で見てみたい。谷斎! 書物の展示としては「江戸の博物学」もなんとも楽しく、近代のところでは上村松園の「焔」の前がひときわ込み合っていた。たしかにすごい。絵といえば、山村耕花の四代目松助の蝙蝠安を描いたのがあって、思わず興奮。黙阿弥の脚本を読むときいつもまっさきに四代目松助の役を探しているのだった。小林清親の光線画シリーズも面白かった。

  • 黒田記念館 *2

そして、黒田清輝のスケッチブックを見て、ふと黒田清輝記念館のことを思い出したのだった。前々から建物がどんな感じなのか見に行ってみたいと思っていた黒田清輝記念館。黒田清輝の絵がかもしだす一種の古風さと建物の雰囲気が絶妙にマッチしていてとてもいい感じだった。国立博物館と比べると、ひときわ大混雑で、あまりゆっくりはできなかったけれども。

実は浅草演芸ホールは今回が初めて(実は池袋もいまだに行ったことがない)。昼の部の途中から入場、ぺぺ桜井のギター漫談に和んだあとに登場は喬太郎、雲助師匠で聴いたことのある「家見舞」で嬉しかった。トリのさん喬は「短命」、これは円楽のを一度聴いたことがある。さん喬さんだと、雪の日に炬燵で夫婦がふたりきり……というあたりの描写がひときわよかった。久保田万太郎の「降りしきる雪の明るさ切山椒」という俳句の情景がパーッと浮かんでくる。万太郎というと、万太郎語彙の「いい間のふり」という言葉をさん喬さんが使っていたので「おっ」となった。その言葉がさん喬さんの語り口にいかにもぴったりで、この語り口が好きなんだなアと思った。

夜の部も立ち代わりあらわれる色々な人をそれぞれほんわかと楽しんで、やっぱり寄席っていいなあとひさびさにくつろいだ感じ。8月の「七転八倒の会」で拝見して以来の駒七さん、おなじみ「子ほめ」なのだったけども、今後も注目したいところ多々あり。藍色の着物もきれいだった。志ん橋の「居酒屋」も味わい深かった。味わい深いといえば宗匠、扇橋の「つる」に思いっきり和んでしまった。いいなア。さてさて、トリの雲助師匠、今日は何だろうと思っていたら、なんと「火焔太鼓」でびっくり、びっくり! これまた志ん朝さんのディスクで何度聴いたかわからない、志ん朝ディスクでもっとも再生頻度が高いもののひとつだったので、耳になじんでいる噺をあらためて雲助師匠で聴けるなんて、こんなに嬉しいことはない、という感じだった。

志ん朝ディスクで何度も聴いておなじみの噺を雲助師匠で聴いたというめぐりあわせは、8月の鈴本「佃祭り」、9月の鎌倉の「唐茄子屋政談」に続いて三度目だと思う。いずれも志ん朝のはこびが耳にこびりついていて雲助さんで聴くと当初はちょいと違和感だったのが次第次第に引き込まれていって、雲助さんしか出ない良さがあふれていて結果的に大満足というパターンだった。志ん朝ディスクと相対化させることで、よりヴィヴィッドに堪能できたというふうな。が、今回の「火焔太鼓」は最後まで違和感がぬぐいきれず。と言っても不満だったというのではなくて、雲助さんの「火焔太鼓」を聴けたのはやっぱり嬉しかった。トリならではだったと思う。今度馬生師匠のを聴いてちょいと研究してみたい。「火焔太鼓」と「お見立て」の入っている朝日名人会ディスクがきっかけで、志ん朝にメロメロになったのだった。であるから、ちょいと思い入れが強すぎたのかもしれぬ。