神保町、歌舞伎座夜の部

foujita2003-11-24


朝起きてみると、寒いし頭痛はするし眠いしで、どうにもこうにも気が滅入ってしょうがない。今日は歌舞伎座の夜の部だというのに、こんなことではいけない、気分をすっきりさせるにはどうしたらいいだろう、そうだ神保町へ行こうと、午後は神保町へ出かけた。大雲堂書店で、久保田万太郎の『市井人・うしろかげ』が安かったのでわーいと買った。万太郎のなかでも特に大好きなもののひとつ。増田龍雨をモデルにしている二つの作品が1冊セットになっている。ちょいと小ぶりで手にとった感じがとてもいい。これで明日さっそく読み返そうと思う。と、心持ちよくいくつかのお店をめぐったあとコーヒーを飲んで、気分すっきり。三田線で日比谷に出て、歌舞伎座に向かってテクテク歩いた。神保町に行ったおかげで一気に体調万全となった。

『盛綱陣屋』と『河庄』の間に菊五郎のおどりが入るというプログラム。これぞ顔見世という組み合わせだ。一番たのしみにしていた『盛綱陣屋』、たのしくてたのしくてしょうがなかった。こんなに舞台に無心に集中したのはかなりひさしぶりだったような気がする。義太夫好きとしては、こういうのを吉右衛門で見られるというのが一番嬉しい。『盛綱』は一度吉右衛門のを見たことがあるのだけれども、ほとんど記憶に残っていなかった。富十郎の和田兵衛の花道の引っ込みがかっこよかった、ということしか覚えていなかった。ので、今回初めて見るような感じで見た。

なので、その芝居のはこび具合というか舞台の進行を目の当たりにして、いちいち面白いなあとゾクゾクしっぱなしだった。まず盛綱と和田兵衛、そのあと一人残った盛綱が思案の体をしたあとでその母微妙登場、二人が退場したあと篝火が花道に登場、早瀬、小四郎が登場……というふうに、人物が入れ代わり立ち代わり登場してそれぞれセリフの応酬があったりする、そのセリフを耳で追うのがたのしければ、ところどころに挿入される見得にいちいちゾクっと興奮したりと、舞台の進行を追うだけでたのしくてしかたがなかったのだった。篝火と早瀬、小四郎と小三郎という対比があって、二人の母はそれぞれ上手の紅葉、下手の松に矢を放ったりして、いつもながらのシンメトリーがたのしく、そして注進のあと……などと細かく挙げてゆくとキリがない。首実検のときの静かな舞台で盛綱が肚でいろいろ思いながらそれを顔で示すところで、身体全体でク−ッとゾクゾク、と、いつまでも興奮は止まらず、小四郎を誉めたたえるところの吉右衛門の見得! などと舞台の運びを追うだけで、なぜこんなにも楽しかったのだろう。こんなにまで無心に歌舞伎を見たのはひさしぶりだった。嬉しかった。

帰宅の電車のなかで、先日図書館でコピーしてきた国立劇場の上演資料集にあった、杉贋阿弥の『舞台観察手引草』を読んでみると、これまたおもしろくておもしろくて大興奮だった。忘れないうちに、明日にでも脚本と対照させてひとりで「卓上舞台」をたのしもうと思う。三宅周太郎羽左衛門吉右衛門とを比較させた文章もおもしろくて、歌舞伎ってたのしいなあとしみじみ思う。

『河庄』はうーむ、どうなのだろう。近松の世話物を歌舞伎で見ていつも思うことを今日も思った、といったところだったか。見る前は特に気にとめていなかったのだけれども、富十郎の欠落がことのほか大きかった気がする。富十郎が出ているのを見ていたら感想はもうちょっと変わっていたかもしれない。

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