教文館にて

2年以上前に、昔の「暮しの手帖」で連載されていた清水一の建築エッセイのファンになって、古本を2冊仕入れてみたら花森安治の装幀が嬉しいのみならず清水一のことがますます好きになるような素敵な本だった、というようなことをウェブに書き連ねたことがあった。その後、清水一には戸板康二の『句会で会った人』で再会し、そのあと車谷弘の『銀座の柳』で鮮烈に登場していて大感激だった。いろいろつながっていたのだ。といったような、以前ウェブに書き連ねていたことを覚えて下さっていた方から昨日びっくりなメイルが届いた。連日びっくりなメイルが届いている。いただいたメイルによると、雑誌「東京人」11月号に六本木建築散歩みたいなページがあって、ここに暮しの手帖社の社屋が載っている、その但し書きによると、暮しの手帖社の設計はなんと清水一によるものだという。えー、なんですってー! 清水一の建築エッセイにいいないいなとなってまっさきに思ったことは、清水一の建築をぜひとも見てみたいなあということ。なんということだろう、そもそもの発端の暮しの手帖社へ出かければよかったのだ。

めったに買うことのない「東京人」を今年は、小津特集(小特集の戸板康二が第一の目当て)、志ん生三代と立て続けに購入していた。そのはざまにあった11月号の六本木特集はまったくノーチェックだった(今月号の酒番付はチェック済み)。これはぜひとも立ち読みに行かねばと、日没後、教文館へ。その途中、なんやかやと日用品を仕入れるべく、そぞろ歩き。雨があがって冷たい空気が頬に気持いい師走の銀座だった。


1階で「東京人」を立ち読みしたあと、2階へ。

毎月たのしみな買い物があるってなんて楽しいことだろう。今回はディスクで聴いたことのない噺がいくつか入っている。帰りの電車のなかで、さっそく「四段目」一気読み。マクラで歌舞伎のことを話している。志ん朝さんの「あぁらァ、怪しやなあ」、聴いてみたい! などなど、あちこちでひどくムズムズとさせられた。音源は発売されないのだろうか。そして、京須偕充さんの解説にたいへん興味深いことが書いてあった。

昨夜図書館で、戸板康二がこの本の書評をしていて、そのまさしく直後に、新刊の文庫として接することができるなんて! と、嬉しい一冊。永井龍男の序文がいかにもな感じの、『石版東京図絵』の空気感も伝わってきそう。著者の経歴に、ドイツに留学しバウハウスをいち早く日本に紹介、というのがあって、そのあたりのモダーンさと明治東京下町との融合。小林清親、井上安治、川上澄生といった散見される挿絵といい、ここまでツボな本はそうあるものではない。ここに書いてある諸々のことが、明治文学を読む際のサイドテキストになりそうな感じで、ちょっと見ただけでもかつて読んだ本のことを次々に類推させる感じ。漱石に出てきたあの描写、みたいに。大事に読んでいこうと思う。戸板康二道の一貫でかねてから注目していた雑誌「新文明」に連載されていたのだそうで、本当にもう、いろいろつながっている。

昨日週刊文春で見た、小林信彦による久保田万太郎のことを書いている文章で、谷崎のことが一瞬言及されていた。昨日まさしく、図書館で借りた谷崎全集の随筆の巻で『東京をおもふ』を読んでいたところだったから、びっくりだった。以前、谷崎の『私の見た大阪及び大阪人』で「敗残の江戸ッ子」のことが出てきて、まさしく万太郎の世界だなあと思っていたら、当の谷崎が『東京をおもふ』におんなじことを書いているのを見て、ああやっぱりと喜んでいたところだったのだ。それにしても『東京をおもふ』が文庫化されていないのはどういうことだろう、『私の見た大阪及び大阪人』は岩波に入っているけれどもこれひとつでは片手落ちだ、『東京をおもふ』とセットで読むべき文章だ。としみじみ思ったのだったが、よくよく調べてみたら、なんと! 去年にすでに文庫化(新書化といった方がよいかも)されていたのだった。今日まで知らなかった。どうも読書の中心が、図書館で借りる全集の端本、となりがちなので、新刊書に疎くなっているらしい。というわけで、いそいそと買いに行った次第。この本の底本の谷崎全集、随筆が収録の3巻分、夏に『細雪』再読に興奮したのを機に図書館で借りて少しずつ読んでいたもの。なので、この1册、そのままわたし個人の今年下半期の読書ダイジェストという感じもして、このような本が出版されていた幸福をしみじみ噛み締めた。中公クラシックスはえらい。他の本、そうだ、折口信夫に挑戦してみようかしらと今思った。