志ん朝と木山捷平

やっとお正月ボケがなおってきて気分がすっきりしてきた、と思ったら、明日から三連休。また元の木阿弥になってしまうのは必至、のような気がする。本屋さんへちくま文庫の『志ん朝の落語』を買いに行って、昼休みはひさしぶりに付近を散歩した。帰りはさる事情で新宿伊勢丹へ突進、ここまで来てしまったらもう! と、そのあと荻窪へ。ひさしぶりにささま書店へ行くことができて嬉しい。ささま書店のことは片時も忘れたことはなかったのだが、ずいぶんひさしぶりになってしまった。旺文社の『百鬼園寫眞帖』を立ち読みした。目次を見ると、金井美恵子の隣に戸板康二の名前発見。この戸板さんの文章、はじめて読んだ。とてもいい文章だった。空には満月より少しだけ欠けた月がぺったりと輝いていた。西荻にも足をのばし、ひさしぶりに音羽館へ行って、そのあと喫茶店でひと休みしてから帰宅。

購入本

ちくま文庫志ん朝は来月で刊行終了となる。この半年間、毎月たのしみでしょうがなかったなあと早くも回顧モード。編者のマクラの「ネタの選別」というくだりにうーむとさっそく感じ入るものがあった。その「ネタの選別」の結果が今回の6冊のちくま文庫というわけで、この先じっくりと噛み締めていきたいものだと思う。第5巻の冒頭は、至福の『火焔太鼓』。志ん朝にメロメロになったのはなんといっても『火焔太鼓』と『お見立て』を収録した朝日名人会ディスクが決定打だった。『お見立て』は川島雄三の『幕末太陽伝』のラストシーンだ。『幕末太陽伝』の記憶を胸に、『お見立て』『居残り佐平次』『品川心中』『三枚起請』といった感じに、映画の元ネタを志ん朝ディスクで追体験、というのが落語に夢中になったまなしにしていたこと。……といった、思い出の『火焔太鼓』の速記を、さっそく昼休みのコーヒーショップで読みふけって胸がいっぱいだった。

おかみさんが甚兵衛さんに釘をさすくだり、

《どうしてそうお前さん、ものがわかんなくなっちゃうんだろう。少しははっきりしなきゃだめだって、いつも言ってるでしょう。ね? 寝てるときはいいよ、起きてるとき、はっきりしとくれっ。お前さんは寝てるときも起きてるときも一緒なんだから。ねエ、もういい歳なんだから、少しゃアものをちゃんと考えて、はっきりすんの。……》

というくだりが好きだなあ、なんだか自分のことを言われているようで。ここのおかみさんのセリフを聞くたびに、起きているときも寝ている状態のわたし、せめて起きているときは少しははっきりしないとなあ、もういい歳なんだし、少しはものを考えないと……、というようなことをいつも思うのだった。

小沢昭一の『話にさく花』で大興奮していた『黄金餅』に関するところにもうーむ、となった。と、いろいろ過去の落語聴きのことを思い出して、これから先の落語聴きがますますたのしみになってくる。

今日のささま書店ではいつもよりちょいと高めの本を1冊買った。この本の存在は今日初めて知った。なんだかほかのところでおぼえのあるタイトル、ハテと思って引っこ抜いて立ち読みしてみると、さっそく欲しくなって、そのままレジへ直行。昭和7年から死に至るまでの日記の抜粋。編者のみさを夫人によると、主に文学的な会合のところを抜粋したとのこと。なので、まずは資料的価値満点で、さっそく「文壇句会」の箇所を探して悦に入ってしまった。固有名詞が多数登場という点において山口瞳の日記に似た読み心地で実に面白い。西荻の喫茶店でしばしページを繰った。練馬の立野町の木山捷平の家もここからわりと近い位置だし、文壇句会の帰りに荻窪に帰る徳川夢声と同じ車に乗っていたり、中央線文士が登場したりと、臨場感たっぷりだった。みさをさんのあとがきの文章がとてもよい。ひさしぶりに木山捷平を読みたくてたまらない。

音羽館の軒先の均一コーナーにて裸本の安売り本として100円で売っていたので、100円なら! と迷わず購入。いつの日か『鬼言冗語』も安く売っているのを見つけたいものであるが。

同じく音羽館にて200円。200円なら! と迷わず購入。去年の秋、串田孫一を機ににわかに渡辺一夫が気になったとき、まっさきに岩波現代文庫の『曲説フランス文学』を買おうと思ったのだったが、解説にちょっとだけ引いてしまった、という実にくだらない理由で購入を見送っていたのだった。その元版がこの『へそ曲がりフランス文学』。こっちの方が本の感じがずっといい感じ。待っていてよかった。ところで、渡辺一夫というと十五代目羽左衛門に似ている、という証言があるという。ので、さっそく著者近影をチェック。先月末の『うらなり抄』と比べると、羽左衛門度は低下しているものの、こっちの写真の方がずっといい顔だ。……などと、またもやまずは写真に注目してしまったが、立て続けに気になっていた渡辺一夫の古本を買う機会がめぐってきた機縁が嬉しいのだった。