銀座の休日

お昼過ぎに銀座にたどりついて、母とお昼ご飯。東海林さだおの新刊『どぜうの丸かじり』を貸してもらってホクホク。母が買っていると思ったから昨日は神保町であえて買わないでいたのだ。今日は実によいお天気で、あたたか過ぎず寒過ぎず、散歩にもってこいの日和だった。各店鋪を一通りめぐったあと、歌舞伎座の開演まで喫茶店でコーヒー。ほんのなりゆきで入ることになった初めてのお店だったのだけれども、お店の雰囲気はとても素敵だし、ご主人もいかにもよき喫茶店主の姿で、隣の席には着物姿がいい具合に素敵なご婦人ふたり連れで、なんといってもコーヒーはとても美味しいしで、なにもかもが完璧、観劇前の絶好の休憩時間となった。

あと、今日初めて入ったお店で大感激だったのが、サンタ・マリア・ノヴェッラ。銀座店が開店していたのをようやく知っていそいそと出かけてみると、店内は強い香りが充満しているのだけど、決して気分が悪くなるような強い香りではなくて、陳列されている品物のパッケージと店内全体の空間とそのきつい香りで、そこに居合わせるだけで突然非日常のスーッと全身が浄められるかのよう。さらに、とても素敵なピアノ曲が流れていて、この曲何だったかなと遠い記憶をたどって、ベートーヴェンの《悲愴》の第2楽章だと思い出した。とにかくもう舞台装置は完璧、全身でうっとりの研ぎすまされたひとときだった。ここでぜひとも贈り物の買いものをしたいなあと思った。自分用にも買いたいけれども、まずはそれに見合う準備をしないといけない。いずれにしても、いつか必ず。

そして、完璧だったのは今日の芝居見物。夜の部全体で「楽しかった! 楽しかった! もう本当に楽しかった! キャー!」と大はしゃぎで帰宅した。目当ての『三人吉三』はもちろんだけども、おしまいの三津五郎のおどり『お祭り』も実によかった。歌舞伎見物でたのしい瞬間って何だろうと思い起こしてみるとして、いろいろあるけれども、そのひとつに挙げられるのが三津五郎がいかにも三津五郎という感じの踊りを踊っているとき、というのがある。まさしく今日の『お祭り』がそれだった。思わず初日に見に行ってしまった吉右衛門の『毛谷村』もとても満喫だったので、先月に続いて今月もいい感じで歌舞伎を楽しめたのが嬉しい。歌舞伎に関しては今年はさい先がよいかも知れぬ。

三人吉三』は何年か前に菊五郎のお嬢吉三で上演があって、当時も大満喫の思い出の舞台だったけれども、今回も違った意味で大満喫だった。玉三郎にしか出せないお嬢吉三の味わいで、見る前はハテどうだろうと思ったけれども、真女方のお嬢、珍しいものを見たなあという喜びが第一。そして、新潮日本古典集成を読書中というタイミングだったので、そこから得たにわか知識でもって、いろいろ楽しめてよかった。2年前の歌舞伎座仁左衛門玉三郎で『十六夜清心』があったとき、当時ちょうど久保田万太郎に夢中になりだしたことでそれまでとは違った感覚で黙阿弥を見て、目が覚めるように堪能した舞台だった。そのときの玉三郎十六夜の記憶がとても鮮明だったので、お嬢の名乗りを聴いて2年前の玉三郎十六夜を頭のなかでたぐりよせて、のちの八代目岩井半四郎という初演の配役を頭で思い描いたりと、読書中の黙阿弥の本に寄り添うようにして舞台を見て、いろいろな局面で黙阿弥の本そのものに近づいたという気がした今回の見物だった。

お坊吉三のセリフの端々でもって、背後にある文里と一重のくだりに思いをめぐらすのも楽しかった。あとの時蔵のおどり『傾城』のとき、文里と一重のくだりのことをちょっと思い出した。物語の要のような存在の土左衛門伝吉がいて、彼がお坊に殺されたあとは、和尚が伝吉と交代するようにして要になってゆく。その劇構造もよかった。左團次團十郎もぴったりな配役で、特にここ1年間ほどわたしのなかで團十郎が不発だったのでひざびさに團十郎をたのしめたのが嬉しかった。そして、なんといっても素晴らしいのが仁左衛門。去年6月の五郎蔵も大堪能だったし、やっぱり、玉三郎仁左衛門の黙阿弥はいいなあとしみじみ幸福な芝居見物だった。

明日は、今日の舞台の記憶を胸に、新潮日本古典集成の『三人吉三』、つづきの第二番目を全部読んでしまおうと思う。たのしみ。