花鳥亭日記という本、『志ん朝の落語』完結

foujita2004-02-25

  • 香取任平『鎌倉風物誌 花鳥亭日記』(近藤書店、昭和33年)

あまりにマニアックすぎるが、香取任平の著書があると知って、値段も手頃だったので軽い気持ちで注文。著者は戸板康二明治製菓宣伝部で同僚だった人物で、谷譲次『踊る地平線』の「彼女」のお兄さんに当たる人。で、本日到着、ちょいとドキドキしつつ梱包をほどいてみると、ワオ! と、ちょいと小ぶりの実に愛らしい書物。外側だけでなくて、中身のレイアウトも実に洒落ていて、記念に自費で作った本のようで、装幀もレイアウトもすべて著者が手がけたのだという。内容は著者が昭和20年代に「鎌倉観光新聞」に連載していた随筆風日記。鎌倉生活30年の著者の鎌倉日記で、鎌倉文士が多数登場して、句会を催したりの交流ぶりがちょっとした鎌倉文献にもなっている。小津の試写に行ったり、イワタコーヒー店で常連の集いをしたり。鏑木清方のスケッチもあって嬉しかった。久保田万太郎鎌倉時代と同時期なのも嬉しい。本書の刊行は鎌倉を去って、安藤鶴夫の近所の四谷若葉町へ移ったあとのことなので、往時の記念という意味合いもあるのかも。思わぬ展開で素敵な本を手に入れることができた。この本を読んで、久米正雄のことが気になってきた。

月曜日の昼休みの本屋さんで購入。とうとう全巻完結してしまった。と、しんみりとさっそくめくって、めくったとたんにいつもと同じようにさっそく胸がいっぱいだった。この巻、好きな噺が多い。

まっさきに読んだのは、年が明けてから夢中だった『今戸の狐』。年末、「圓生百席」の『鰍沢』にそれにしてもすごいものだなとあらためてハマってしまって、そのマクラに登場の初代三笑亭可楽つながりでひさびさに志ん朝ディスクの『今戸の狐』へと行ったのだった。『今戸の狐』は初めて聴いたときはそんなに面白いとは思わなかったのだけれども、あらためてじっくり聴いてみると、これがしみじみよい。じんわりじんわりと面白い。数々の仕込みをじっくりと胸に刻んでじっくりと耳を済ませてみると実にたのしいし、ここに登場する人物がそれぞれ皆いいなア、と、うっすらと幸せになってくる噺。このうっすらとした幸せこそが落語の醍醐味のような気がする。

と、さっそく『今戸の狐』を読んで胸がいっぱいで、帰りの電車のなかでは『三軒長家』。解説の「激動の年」、志ん朝40歳のときがひとつの転機だったというくだりにうーむとなった。うーむとなりつつも、それにしても志ん朝の『三軒長家』の素晴らしいこと、素晴らしいこと、とまたもや胸がいっぱいで、帰宅後は志ん朝ディスクで宵っ張り。


『抜け雀』の解説に、

《こけにされてもあまり動じない、屈託のなさすぎる生き方――それは、出来るものであるならば――、の誰しもの理想だが、それをあっさりと実現してみせるのが落語の人物たちである。聴き手はその一瞬、その人物に自分の人生を仮託して楽しむこともできる。そんな人物を、そんな瞬間を、近年いちばんたくさん与えてくれたのが志ん朝さんだった。もちろん、志ん朝さん自身も自分の生んだ人物に自分を託して心を解放しながら演じていたに違いない。》

というくだりがある。歌舞伎みたいに大きな事件が勃発するわけではない、まさしくちょっとした「騒動」という言葉がぴったりの、落語の生世話的世界、そんな落語の世界がたまらなく好きだ! と、とにもかくにも胸がいっぱいの『志ん朝の落語』全巻完結の夜だった。