休日日記

foujita2004-02-28


午後、所用のため外出。その帰り道、通りがかりの古本屋さんに足を踏み入れた。何年かにいっぺん立ち寄るという程度のお店なのだが、毎回それなりにいい買い物をしていて、今日も2冊買って、駅前のドトールでしばし読んでから帰宅。なんだか時間がたっぷりあって、のんびりとシューベルトの《美しき水車小屋の娘》を聴いた。全曲中、10曲目で最後の節だけ短調になる瞬間が一番好きだ。19曲目の小川との対話の、真ん中の小川の部分になって変化するところとか、ラストの20曲目の達観も実にいい。ほかにも好きなところはいくつもあったはずだけども、リートに不馴れのためかどうもいまいち解剖しきれていない気がする。3月に入ったら、いよいよ《冬の旅》に入るのだ。そんなこんなしたあと、ふと思い立って、ひさしぶりに折口信夫の『妣が国へ・常世へ』を読んだ、というか、その文字を追った。何年かにいっぺん読み返してそのたびに、ようわからぬ、となるものの、このなんともいえない高揚感はいつ読み返しても変わらない。

購入本

ちくま文庫で読んでいるものの、青蛙房の初版、岡村夫二の装幀目当てで前々から欲しいなあと思っていた。いつも結構ちゃんとした値段がついていてなかなか機会がなかった。今日は今まで見たなかでずば抜けて安かったので、わーいと買った。これを機にじっくり読み返さねば。

この本の背表紙を見て、去年9月の雑誌「新潮」の折口信夫特集における渡辺保さんの文章で、高橋英夫氏が折口の『かぶき讃』について何か書いている、というくだりがあったことをちょろっと思い出して、ふと手にとってみた。で、ペラペラ立ち読みして、猛烈に読みたくなって購入。

去年に出たばかりの新しい本で、雑誌「新潮」に連載の文章をまとめたもの。この本の存在は今日初めて知った。『かぶき讃』への言及はこの本のことではないみたいだけれども、「苧環の糸」というタイトルの文章の冒頭に、志賀直哉の「歌舞伎放談」のことが書いてあって、立ち読みして「あっ」となった。志賀直哉の「歌舞伎放談」の初出は「芸術新潮」で、昭和26年の年末に戸板康二聞き書きしたものなのだ。

というわけで、帰りのドトールでまっさきにこの「苧環の糸」を読んだのだったが、志賀直哉の「歌舞伎放談」のあと、古今集(「ながめ」の和歌)へと行って、折口信夫の引用があって、古典の話が続くかと思うと、「苧環」が登場して歌舞伎に戻って、シューベルトのリート《糸を紡ぐグレートヒェン》が登場したり、能の「二人静」になったり、などなど、そんな計算され尽くされた縦横無尽ぶりにひたすらシビれた。あとの方では、薩摩治郎八が登場すると、当然のように、梶井基次郎の『器楽的幻覚』へと行ったり、とか、何かと心ときめいた。

前々からの懸案、竹西寛子の本で、古典の勉強をしようと急に思った。