歌舞伎座と西荻

体調が急によくなってきたのが嬉しいせいか、今日もさわやかに早起き。今週の「音楽の泉」はシューベルトの《スタバト・マーテル》、いつもは寝床でぬくぬくと聴く NHK ラジオの「音楽の泉」を今日は朝食の食卓で聴いた。日中は歌舞伎座。芝居見物のあとはさる事情で西荻へ。早く着いて時間がだいぶ余ったのでこれさいわいと音羽館へ出かけた。今日もよい本を買うことができた。西荻の夜はいつもたのしい。帰り道、夜風がしみじみ冷たかった。

今日は全体的に激しい興奮はなかったものの、淡々と全編そこそこ堪能した。すっかりおなじみだと思っていた『先代萩』なのだけれども、見ていたつもりになっていた「竹の間」は今日が初めてだった。なので、「竹の間」を見ることができたという点で大収穫。今までなんとなく見ていた「奥殿」の沖の井と松島のことがやっときちんとわかったような気がする。「花水橋」の頼兼と侍とのゆっくりとした立ち廻りのときの下座が、「圓生百席」の『刀屋』で使われていたのと同じ唄だということに気づいたり(たぶん)、そのあとの絹川の登場で急に気分が変わって下座も変わってパッと展開していくところとか、「花水橋」全体のなんでもないような歌舞伎ならではの雰囲気がいいなあと序幕でさっそく歌舞伎気分が盛り上がった。『先代萩』は歌舞伎のいろいろな要素が詰まっていて、いつ見てもそれなりに面白い。

「竹の間」の竹本なしのセリフ劇で、そこに居並ぶ女たちがそれぞれに品があって、それぞれのしどころを眺めるのがたのしかった。それまでの静けさを放つように、八汐と政岡がキッと向かいあうところの盛り上がりぐあいなど、作劇術を眺めるたのしさがあった。綿々と続く義太夫を耳にお茶のお手前をボーと眺めるあの時間が大好きなので、「飯炊き」がなかったのはちょっと残念だったけども。「奥殿」を見るといつも、多賀之丞の栄御前がよかったらしい、という話を思い出す。栄御前がよいとはどういうことなのか、いまいち実感がわかなくて、歌舞伎はわからないことばかりだ。わからないといえば、筋書の富十郎のところに七代目三津五郎の男之助がよかった、というくだりがあって、どういうふうだったのかがとても気になる。追々解明していきたい。


購入本

前に音羽館に来たときに小林勇の本が売っていた記憶があったので、ちょっとだけ期待していたが、あいにくもう棚にはなかった。そのかわり、竹西寛子さんの本を買うことができた。こういう本を静かに読むのがわたしにとっては一番の理想なのかもと思う。竹西寛子さんのことを気にするようになったのは、岩波文庫の『野上弥生子随筆集』の編者としてその名前を見て以来のこと。著書を買ったのは今回が初めて、たのしみたのしみ。部屋に帰って、堀江敏幸の『書かれる手』の竹西寛子論のページを繰った。