こつう豆本、夢金

foujita2004-03-19

日本古書通信社http://www.kosho.co.jp/kotsu/)の「こつう豆本」は1年ほど前に神保町の書肆アクセスで買い始めて以来、ちょっとだけハマってしまって、以来書肆アクセスに入るたびに1、2冊買っては悦に入っていた。愛らしい外見のみならず、中身もどれもそれぞれにいい感じで、なじみのない書き手、なじみのない内容でも読んでみると、いずれも書物のよろこびに裏打ちされているのでかならずどこかしら共感したり面白かったりで、つい夢中になってしまった。蒐集欲を駆り立てられるシリーズ。

先週、「sumus 文庫」の八木福次郎さんのインタヴュウを読んで、思い出したのが、「こつう豆本」の『尾崎一雄回想』のこと。高橋英夫著『尾崎一雄回想』のこと、図書館で借りて読んだ川本三郎さんの書評集で紹介のあったのを見てからちょっと気になっていたのだ。無事在庫があり、通信販売にて購入。ついでにタイトルに惹かれて『黒い風呂敷』も一緒に申し込んで、昨夜届いたところ。今朝、朝の喫茶店でコーヒー片手にペラペラと読んだ。

目当ての高橋英夫さんの『尾崎一雄回想』はもちろんとてもよくて、ますます尾崎一雄が読みたくなる。ここに書かれる尾崎一雄の姿もよいし、尾崎一雄に傾倒する著者の筆致の根底にある尾崎一雄に対するまなざしもとてもよくて、読んでいて幸せな気持ちになってくる。山高登のさりげない装幀もいかにも似つかわしい。そして、ついでに申し込んだ『黒い風呂敷』も面白かった。「黒い風呂敷」とは著者の愛用品、ブタペストの古本屋通いの際に愛用、というくだりがよかった。わたしも風呂敷大好きなので、共感大だった。という、ハンガリーでの回想が面白くて、音楽の文章もあって嬉しかった。そして、岩本素白に関する文章で、思いっきり『素白随筆』にそそられてしまった。みすず書房の《大人の本棚》シリーズで池内紀編で刊行されているので、近々読むつもり。……といった感じに、「こつう豆本」を手にすると、いつも読みたい本がどんどん増えていくのだった。

    (仲入り)

昨日は朝から京橋図書館のことで頭がいっぱいだった。が、日中ふいに本日休館日、ということに気づいて、ガーン! となった。その心の隙き間を埋めようと、ふと思いついたのが、鈴本演芸場のこと。一週間たっても雲助師匠のことが忘れられない。でも、二週間連続で行ってしまうのはちょっとやり過ぎかしら、ハテどうしたものか、と悩みつつ、ちょいとおさぼりしてウェブ閲覧、雲助ホームページをのぞいてみると、なんと! 雲助師匠の『お富与三郎』の「茣蓙松の強請り」の速記が掲載されている歌舞伎学会誌「歌舞伎 研究と批評」をモギリにて御希望の方にプレゼント、とあるではありませんか! この本、以前京橋図書館で借りたものの、じっくり読む時間がないままに返却日になってしまって、そのままになっていて、ずっとコピーをとらねばと思っていたのだった。雲助師匠の高座をトリで聞ける上に、歌舞伎学会誌までいただけてしまうとは、これはもう迷うことなく鈴本へ行かねば、と結局二週連続で日没後鈴本へ突進の木曜日となった。で、モギリにてわーいわーいと歌舞伎学会誌を受け取って、エスカレーターに乗りつつペラペラとめくってみると、雲助師匠のサインが入っていてびっくりだった。なんという親切であることだろう。大切に読ませていただくとしようと、ジーンと感激しつつ客席に入ると、『雛鍔』の途中だった。

と、欲の皮を突っ張らかした結果、聴きに来ることとなった鈴本夜の部、雲助師匠は『夢金』だった。先月の「七転八倒の会」でお弟子さんの駒七さんでじっくりと聴いたのが記憶に新しかったのでグッドタイミングだった。雲助師匠の『夢金』、もちろん悪かろうはずがなく、素晴らしいという言葉をいくら使っても足りないくらい全編思いっきり堪能の素晴らしい高座だった。噺の世界にひたりきった30分。鋭気漂う浪人の衣服の描写のところ、大雪のなか舟に乗り込むあたりのところ、などなどあちこちでゾクゾクだったけれども、圧巻は山谷掘から隅田川を深川へと向かって舟を漕ぐ船頭のモノローグのところ。ちょっと思い出しただけでドキドキ。そして、中州にお侍を残して舟をパーッと漕ぎ出す瞬間に羽織を脱ぐところがかっこよくてかっこよくて、「ク−!」と大興奮だった。大雪の夜の江戸の真っ暗闇の中ゆらゆらと揺れる水面、香気たっぷりで、こういう噺を雲助さんで聴くのがわたしにとってはもっとも落語の喜び全開の瞬間なのだと心から思った。サゲに至る瞬間もたいへん秀逸。

思いがけなく「歌舞伎 研究と批評」をちょうだいした上に、雲助師匠の高座はすばらしくてすばらしくて、いいことづくめの鈴本夜の部だった。桜の開花宣言が出た日、雨降りで寒くて冬の名残りもあった夜、小菊さんの粋曲をはじめ、雲助師匠に至る数々の高座もいつもながらにほんわかとよい気分の寄席の時間だった。