リートの夕べ・第2夜

いよいよ《冬の旅》だ。今日はとても寒くて、《冬の旅》を聴くにはもってこいの気候だった。たいへん緊張しつつサントリーホールへ向かった。

数年来、内田光子さんのコンサートの度に遭遇する、さる目上の方にお会いした際に、歌舞伎ばかりで音楽会には来なくなったのかと心配していた、安心した、安心したと真顔で言われてしまって、思いっきりよろめく。うーむ、これまで戸板康二を読むついでに見物しているというくらいのつもりだったのだけれども、そんなに歌舞伎に熱中しているように見えていたなんて……。これから気をつけようと思った(何を?)。

寒さに震えつつ帰宅すると、5月の海老蔵襲名のチケットを無事におさえた! という内容のメイルが届いていて、わーいとはしゃぐ。襲名のことを知ってから幾年月、無事に見物に行けるのかだけが気がかりだった。ああ、よかったよかった。本当によかった。しかし、6月の方がもっとたのしみなので、まだ安心はできないのだ。

美しき水車小屋の娘》はボストリッジの声に聴き惚れて、内田光子さんのピアノに心ときめかして、ただひたすら愉しくてしょうがなかったのだけれども、《冬の旅》では、ただただ震えてばかりで、心の奥にグッと突き刺さって、全曲聴き通してくたびれてしまった。ピアノの音のあちこちが琴線に触れる響きで、揺さぶられっぱなし。9曲目の「鬼火」から次の「休息」のあたりの気分とか、11曲目の「春の夢」の冒頭のピアノの強音、そのあとで変化して間があって、2番になってニュアンスが変幻していくところ、12曲目の「孤独」の後半の響き。第2部からさらに凄さが増して、「郵便馬車」のキラキラと異常な感じにきらめくピアノ、14曲目「白髪」。15曲目「からす」と、このあとどんどんすごい音楽が続いて、いちいち書いているとキリがないけれども、なんだかもうシューベルトの音楽そのものに参ってしまった。

と、なんだか全然整理しきれないのだけれども、シューベルトはとてつもなくおそろしい音楽を作ったものだ。これを機に徐々に解剖していって、もっときちんと向かい合っていきたい。そのきっかけにはなったと思う。