阿佐ヶ谷寄り道日記

阿佐ヶ谷の映画館へ行こうと帰りは丸の内線に乗りこんだ。ずいぶん遠回りなのだけれども、のんびりと丸の内線に乗って、南阿佐ヶ谷で下車してテクテクと歩くコースが結構お気に入り。いつもつい行き損ねてばかりで平日のラピュタ阿佐ヶ谷はひさしぶり、ウキウキと丸の内線に乗った。本日の車内の読書は、竹西寛子著『虚空の妙音』。

東京の桜といえば、丸の内線の車窓から見える四谷見附の桜が好きだった、今年は見逃したなということを思い出して、四谷到着直前に顔をあげてみたら、薄暮のなかまだまだ桜は咲いていて嬉しかった。南阿佐ヶ谷の駅からいい気分で、中央線の駅方向へと歩いて、ひさしぶりに駅前の古本屋に足を踏み入れて、ちょっとした買物をして上機嫌。線路を越えて映画館へ向かう道筋は夜だと格別な感じがしてなんだか好きだ。


購入本

「朝日新選書」の1冊で小ぶりのなかなかいい感じの本。飯塚友一郎は飯塚くにの旦那さまということで前々から気になっていたのだったが、この『歌舞伎入門』は、三島由紀夫戸板康二の『歌舞伎への招待』の書評でお薦め本として名前を挙げていたのでさらに気になり、古川緑波著『劇書ノート』でもわりと詳しく紹介が載っていた。と、前々から気になっていた本がとても安かったので嬉々と購入。この著者の本は初めてだ。たのしみ。飯塚くにが気になるきっかけになったのは言うまでもなく戸板康二の『ぜいたく列伝』で、来週に人物文庫として発売になるわけで、『ぜいたく列伝』のことでまたいろいろと極私的に盛りあがりそうな気配。

  • 雑誌「東京人」1992年11月号《特集:モダン東京盛り場案内》

と、『歌舞伎入門』を買って心持ちよく外に出ようとした店先でふと目にとまった「東京人」、ほんの気まぐれに立ち読みしたら、戸板康二の「品川区」という文章が目次にあるので、わーいとなった。この文章は戸板康二の没後のエッセイ集に収録されていてほんの短文だけれども前々から大好きな文章だった。というわけでそのページを開いてみると、品川区のスナップがあしらってあるカラーページで単行本で読むのとまた違う雰囲気で嬉しかった。と、戸板さんが登場しているのみならず、特集もいわゆる「モダン都市東京」でやっぱり何度見てもやっぱり魅惑的テーマ。それに一番上に積んであったのを偶然手にとって戸板さんを見つけるという奇縁が嬉しいし、値段はわたしの「東京人」(および「芸術新潮」)の古本買いの上限300円だしということで、店内に戻って買うこととなった。

映画のあとは駅前のスターバックスに寄り道してこの「東京人」を繰った。モダン東京特集では、鹿島茂の「絶景、上野大博覧会」という文章が面白くて、戸板さんも幼少時代に訪れたという大正11年の博覧会に関するもの。この文章にちょろっと紹介のある、昭和3年発行の「現代ユウモア全集」の生方敏郎著『東京初上り』を読んでみたい! 読んでみたいといえば、前々から気になりつつもいまだ未入手の『池袋モンパルナス』の宇佐美承による池袋モンパルナスの文章もあり、海野弘ももちろん登場。特集以外では森まゆみさんと四方田犬彦と小さん師匠の銭湯に関する鼎談が嬉しくて、落語といえば、小沢信男による『黄金餅』の言い立てを追跡した文章の後篇があった(前篇も読みたい)。などなど、12年前の「東京人」でずいぶん楽しんでしまった。雑誌のバックナンバーは目当て以外の記事でふと往事をしのんだりするのが楽しいのだが、今回は、NHK テレビの「人間大学」の広告があって、大江健三郎の『文学再入門』の文字に猛烈な懐かしさがこみ上げた。この放送、当時毎週たのしみにじっくりと見て聴いていたものだったと突如追憶。当時、わたしはこのテレビを機にフォークナーの『野生の棕櫚』を読んだりしていた。当時は戸板康二も「東京人」も知らなかった。


映画メモ

今まで見た成瀬巳喜男の映画で「これはあまり……」という映画を5本選ぶとすると、その1本に入ってしまいそうな映画だったけれども、見て失敗だったかというと全然そうではなくて、見どころはいろいろとあって、結果的には見てよかった! という映画。

川端康成の原作は未読なのだが、岡田茉莉子がかつて尊敬していて今は零落している「香山先生」のエピソードや、高峰三枝子にまとわりつく不快な人物「沼田」、結婚前から相思の「竹原」といった人物配置など、各挿話がいまいちとってつけた感じがぬぐえず、映画としてすっきりと消化できておらず、原作の展開をただなぞったものになってしまった感じで、成瀬巳喜男の持ち味がうまく発揮できていなかったのだと思う。しかし、ショットの切り返しで場面が進むところとかラストが音楽だけでセリフのないところなどはいかにも成瀬で、たまに「おっ」というところもあるのだった。

と、映画全体の印象はいかにも固い仕上がりなのだけれども、見ていてつまらないかというと全然そうではない。実は結構おもしろいのだった。まずは、名家出身の元バレリーナでバレエ教室を主宰する高峰三枝子とその娘のバレリーナ岡田茉莉子の組み合わせが醸し出す、少女マンガチックな雰囲気にひたるのがたのしかった。高峰三枝子岡田茉莉子の「上流階級」的なセリフの応酬も面白かった。そして、なんといっても、この映画を見てよかった! と思ったことは、映画のはじまりが丸の内の帝国劇場が舞台になっていること。いわゆる第二次の帝劇で(現在の建物は第三次)、去年『幸運の椅子』をフィルムセンターで見たときの感激が胸に甦って、ちょっとウルウルだった。客席にすわる高峰三枝子の角度で舞台が臨めるので、臨場感たっぷり。バレエ団の協力を得ているせいか、舞台のバレエシーンが長いのも嬉しかった。なので、音楽と舞踊シーンがしばらく続くことのカタルシス効果みたいなものがあって、それがラストシーンに通じるところがあった。一言で言うと、雰囲気にひたるのがたのしい、という映画。

映画全体では帝劇シーンが計3度登場するというサービスぶりで、それだけでもわたしのとっては大喜びの映画。幕開けの帝劇シーンのあと、高峰三枝子たちは日比谷公園に移動、父・山村聡の帰京時に登場する上野の東京国立博物館の正面や東京駅のシーンなどなど、ロケ地にワオ! と、昔の映画を見ると「銀幕の東京」が登場するだけでも嬉しい、というのがあるけれども、今回の映画もその点では大満足。上流マダム風な洋装の高峰三枝子は、家では着物を着ていて、その着物姿が上背のある高峰三枝子によく似合っていて着物を見るたのしみもあり、岡田茉莉子のデビュウ映画なのでその初々しさも微笑ましかった。着物といえば、山村聡兵児帯の着流し姿がとてもきまっていた。木村功はニンのない役だったけども、もうちょっと年齢が上だったら今回の山村聡みたいな役がいかにもぴったりだなあと、『杏っ子』を見たときの記憶をたどったりも。

香気豊かに綴る冷ややかな家庭劇/川端康成の同名小説を映画化。考古学者の夫とバレエ教室を営む妻には、長年に渡ってできた深い溝と負い目があり、別れ話にまで発展してしまう。崩壊しかけた家族の中で、娘・品子を演じるのは大スター岡田時彦の娘・岡田茉莉子である。(チラシ紹介文より)