教文館と奥村書店

foujita2004-04-08


穏やかな春の一日。日没直前の空気が心地よいなアと上機嫌で教文館方面へテクテク歩いた。一昨日注文していた本と文庫本を買った。文庫本選びに難儀のあまりモンモンとなって眉間にシワがよってしまった。無事に買い物が済んでいつもの通りにふらっと奥村書店に寄ったあと京橋図書館へ行き予約してあった本を引取って銀座に戻って、最後はとある喫茶店へ。コーヒーを飲みながら、買った本と借りた本を次々とめくった。出る前にちょろっと夕刊を見たら内田光子さんのコンサート評が出ていた。ほんの一週間まえのことなのにずいぶん遠くのことのように感じる。思い出すとなんだか胸が詰まる。


購入本

この「ある文藝編集者」とは戦前の「新潮」の編集者で自ら新興芸術派の作家でもある楢崎勤のこと。新刊のときに買い逃してずっと気になっていたのを先日図書館で借りて読んだ。大村彦次郎さんの文壇三部作は前々からとびっきりの愛読書で、この『ある文藝編集者の一生』はそれらの前の時代、戦前の昭和を扱っている。で、ひとたび読んでみるとこれが面白くて面白くて、返却期限を忘れてしばし手元に置いてしまったほど。『文壇栄華物語』や『文壇挽歌物語』のような筆者いうところの「挿話的手法」、前作同様この手法がとびきり面白い本にさせていることのはもちろんだし、著者の楢崎勤への共感というか愛着のようなものがとてもいい感じでもあって、なにかとぐっとくる。それになんといっても、以前からの関心事、戦前の昭和の群像のガイドブックとしてもとても秀逸で、巻末には登場する編集者と作家の人名事典まで付されているので資料的価値も満点。と、そんなわけで、ずっと手元に置いておきたいと、一昨日図書館へこの本を返しに行く途中に教文館に予約して、今日引き取ったのだった。

先日、雨の日曜日に、電車で二駅のとある図書館にひさしぶりに行った。楢崎勤著『作家の舞台裏 一編集者のみた昭和文壇史』(読売新聞社、昭和45年)を借りに行ったのだ。これもさっそく帰りにコーヒーショップで読みふけって、とてもよかった。いつか手に入れたいものだ。和田芳恵の『ひとつの文壇史』(新潮社)も京橋図書館で借りて読んだばかり。といった感じに、大村彦次郎さんの本を読むと、その参考文献にもあたりたくなるのだった。

大村彦次郎さんの本を読んで、がぜん川端康成が戦前に書いていた文芸時評が気になり、それから宇野浩二の作家論にもそそられるのだったが、なんとありがたいことにいずれも講談社文芸文庫ですでに刊行されている。というわけで、まっさきに講談社文芸文庫の棚へと直進したのだけれども、その2冊を買っただけでも値が張るし、ほかにも読みたい本がありすぎて、急に困ってしまった。ああ、どうしようッと錯乱して、後ろを振り向くと、そこはちくま文庫コーナー。ちょいと気分を変えて心を落ち着けてとっくり考えようとちくま文庫をあれこれ立ち読み。先月買い逃していた『日夏耿之介文集』に今考えていたことにぴったりの文章があって、ワオ! となった。今日のところはちくま文庫特集ということにして、買い逃している百間集成と吉行淳之介の最初の1冊は今月の新刊にしようと、合わせて購入。……文庫本選びにずいぶんくたびれた。講談社文芸文庫はまた日をあらためて。

このところ、昭和通りの向う側の奥村書店で買ってばかりで、松屋裏での買い物はひさしぶり。先日、「銀座百点」のバックナンバーを眺めていたら、行きつけのお店として戸板康二がここで本を見ている写真があって、たたずまいが今とまったく変わっていなくて胸が躍った。このお店に来ると、いつも辻留の本があるあたりの食味コーナーとその横の俳句本をまっさきに見る。辻嘉一の本がいかにも似つかわしくて、たまに立ち読みしている。今日はわたしの愛読書『豆腐料理』が並んでいて嬉しかった。その隣りにこの『料理コツのこつ』があった。『豆腐料理』同様、写真の上に佐野繁次郎の題字をあしらった表紙がいい感じで、『豆腐料理』は久保田万太郎の小唄が序文になっていたけれども、『料理コツのこつ』の序文は幸田文。ああ、もうたまらないわ! と、本全体が愛おしい。値段は600円、いまどき600円では講談社文芸文庫ちくま文庫の新刊も買えないことを思うと、なんと安い道楽であることだろう。と、意気揚々と辻留を手にして気が大きくなって、以前から目をつけていた花柳章太郎も一緒に購入することに。

辻留の本に関しては、獅子文六が《辻留さんの料理の本は、私にとって、画集と変らない。構図、配色、そしてモチーフ。実に立派な画である。いつも感心してる。そして、好きな画集とひとしく、書架に愛蔵し、ときどき、これをひもとく。……》というふうに書いている。この文章は辻留の『点心』という本の序文とのこと。この言葉は文章が中心で小ぶりの『豆腐料理』や『料理コツのこつ』みたいな本にも当てはまるように思う。久保田万太郎幸田文獅子文六の序文が添えられたりと、辻留本をとりまくいろいろなことがとてもいい感じでうっとり。花柳章太郎の『がくや絣』(今までずっと「がくや餅」だと読み違えていた…)は木村荘八の挿絵がふんだんにあって、これまたいかにもという仕上がりでたまらない。今まで何冊か花柳章太郎の本を読んでちょっとなじめないところがあるのだけれども、花柳章太郎をとりまくいろいろなことがやっぱりとてもいい。今回の2冊、いずれも奥村書店で買うのがいかにもぴったりだった。