かりの翅

去年9月に上村以和於著『時代のなかの歌舞伎』が発売になって、あらためて武智鉄二のところを読んで、西洋音楽に親しむきっかけがストラヴィンスキーだったというくだりにしみじみ感じ入ってしまった。武智鉄二は1912年生れなので吉田秀和さんと同世代、この時代にしてストラヴィンスキーを機に音楽を聴く、それだけでなんだかとてつもなくかっこいいと、急にそそられて図書館へ『定本武智歌舞伎』の閲覧へ出かけた。それから、同月の歌舞伎座福助の『無間の鐘』の上演があって、ちっとも面白くなかったものの見物後も妙に気になり、演出という点ではそれなりに興味深いところもあったので歌右衛門初演当時の劇評を読むことにして、そこで武智鉄二の名前を見た、ということもあったのだった。そんなこんなで、動機はいかにもくだらぬのだけれども、にわかに武智鉄二が気になって、ちょろっと武智鉄二の文章を読んだのだったが、武智鉄二を読んだのはそのときが初めてだったと思う。渡辺保さんの山城少掾に関する本を読んだ頃から、歌舞伎や文楽を見るからには読まねばならぬ書き手なのだろうなあと思ってはいたものの、今までずっと機会を逸していた。

……と、前置きが長いけども、そのときにわかに武智鉄二が気になったものの、そんなには深く追求することなく現在に至っていたところ、先日、ポリーニストラヴィンスキーにハマっていたら、急に武智鉄二のことを思い出した。先週の日曜日、雨のなかテクテクと図書館へ出かけて何冊も本を借りた。そのうちの1冊が『かりの翅』、帰り道にコーヒー店に寄り道してさっそくめくったのだったが、目についた文章を何本か読んだだけでさっそくハマってしまった。ちょっと読んだだけで、猛烈にこの本1冊を手元にずっと置いておきたいという気にさせられる感じ。この強烈な呪縛力はいったい……。巻末の堂本正樹氏の解説が熱い、思わず引いてしまうくらいに熱い。と、人をとてつもなく熱くさせる本ということだけは確かなのだった。

それからニンマリだったのが、冒頭の著者による序文で、昭和16年初版の『かりの翅』の古書価格高騰について二度にわたって武智鉄二に報告する戸板康二の姿があったこと。昭和44年再版のこの本だっていかにも古書価格が高そうな立派な外見、手に入れるのはいつになるのかな、『かりの翅』をいつか買うとしたら序文に戸板さんが登場するこの版にしよう、まあ今はせめて返却期限まで思う存分めくるとしようなどと思いつつ帰宅、古書価格をチェックする戸板さんのことが心に残っていたせいか、ちょいとウェブで価格を調べてみた。すると、この學藝書林版、価格はどのお店も当時の定価3000円を下回るところばかり、なんということだろう、こうなったら一番安いのを選んで買ってしまえ! とすぐさま注文して、聖金曜日に届いた。届いてみると署名本でびっくり。まずはさっそく手に入って嬉しい。

それにしても、読みものとしてもとても面白いのに、一般の歌舞伎ファンにあまり読まれていないとしたら実にもったいないことだなあと思う。この本のなかで武智鉄二杉贋阿弥の『舞台観察手引草』を岩波文庫に入れるべきだということを書いているけれども、戸板康二の『歌舞伎への招待』が岩波現代文庫になった今、『かりの翅』も岩波現代文庫になるといいなあと思う。実現のあかつきには、またどなたの熱い解説が付されることだろう。

渡辺保著『昭和の名人 豊竹山城少掾』を見てみると、武智鉄二の著書をあげるとしたら、本全体では『かりの翅』『蜀犬抄』、論文としては「『風』の論理」、じゃなくて「『風』の倫理」(『歌舞伎の黎明』所収)というふうに書いてあった。ので、メモ。上村さんの文章で、『蜀犬抄』のところで戸板さんの文章が紹介されていて、その出典の『演劇人の横顔』という本をめくって、次なる武智鉄二はぜひとも『蜀犬抄』、とメラメラ、土曜日にさっそく神保町の豊田書房へチェックに出かけてみると、和敬書店発行の水色と黄色の愛らしい装幀だった。

うーむ、ひさびさに演劇書に燃えてしまった。