書簡集と映画

新年度になって一番の朗報は、都立中央図書館の平日の開館時間が長くなって、夜9時までになったこと。都立中央図書館は立地的に平日に行く方が都合がよいので、本当に嬉しい。これで平日はあまり足が向かない渋谷にも行きやすくなるかも、タワーレコードで買い物したり、映画館でレイトショウを見たりもできそう、わーい! と大喜びだった。と、そんなわけで、さっそく、図書館→渋谷で映画、のコースを実行に移して、ご満悦だった。

今日の図書館では、昨日見逃した『三島由紀夫全集』の書簡篇をひたすらめくった。決定版三島全集の刊行を知ってから幾年月、この書簡集の刊行がたのしみでたのしみでしょうがなかった。それが先月やっと刊行、意気揚揚と立ち読みに出かけてみたら、パリッとビニールでコーティングしてあってギャフンとなって、次はひたすら図書館の入荷を待ち望んでいたのだった。宿願かなって、やれ嬉しや。

で、わたしにとっての三島書簡での一番の注目は、はたして戸板康二宛ての書簡は収録されているのか! というところにあったのだったが、うーむ残念、収録されておらず。存在するのは確実なのに残念といえば残念だ。が、そんな戸板康二を抜きにしても、書簡集全体が実に面白くてすっかり夢中だった。三島のお手紙のあちこちにはふしぎな愛嬌があって、なんでもないようなところでクスクスしてしまって、だいぶ三島に親近感がわく。福田恆存宛てのところで加藤道夫の自殺を冗談めかして福田恆存のせいにしているところか、著書受贈の礼状の文面があちこちにあってその文句がどれも面白かったり、戦時下の勤労生活の折の両親宛てのお手紙で「演劇界」を送ってくれと何度も要請したり次回興行の切符がのどから手が出るどころではなく目から手がでるほど欲しいッと書いていたりとか。細かく読んでいくと、さらに面白いところが見つかりそうだ。


映画メモ

化学会社の技術畑でずっとやってきた佐分利信は、自らが発明した新技術で会社に莫大な利益をもたらし、その功績で重役に昇進している。妻・沢村貞子、娘・若尾文子とともにマンガに出てくるような豪邸に住んでいる。が、そんな世俗の成功とは裏腹に、「有閑マダム」の交際にあけくれる妻、享楽的な学生生活を送る娘、まわりの重役たち、学生時代の同級生仲間、などなど、佐分利信をとりまく人間関係は冷え切っていて、日々むなしさをつのらせる佐分利信なのだった。

……といったところから始まるこの映画、最初からしステレオタイプな設定なのだが、映画が進むにつれてますますステレオタイプな展開、全編いかにも「大映!」という感じのえげつなさ全開で、登場する人間すべてが自分のことしか考えず自分の私利私欲を追うことしか考えていなくて、自分の不幸とか不都合は全部他人のせいにするといった人物ばかり。見事なまでに徹底的に、深みのない人間ばかりが登場する。なので、見ていて不愉快になってくるばかりで、その登場人物の不愉快ぶりも最大公約数的というかいかにもステレオタイプなのもなんだかなあという感じで、いかにもデフォルメが過ぎるのだった。映画は佐分利信を中心に、佐分利信の視点にたって展開していくので、佐分利信をとりまく人物描写は、佐分利信の見ている世界として捉えれてみてもよさそう。一種のカルカチュアといった見方ができる。ファルスといってもいいかもしれない。

佐分利信一家、一人一人に異性が絡んでストーリーが展開するのだけれども、佐分利信は昔の恋人・左幸子に再会してかつての充実した生活を思い出して安らぎを見出す。妻・沢村貞子にはピアノ教師・船越英二がつきまとい、娘・若尾文子に近づく若き研究者・川崎敬三。その3人が3人ともが一目見ただけで曲者、観客の誰もがうさんくささを感じるに違いなく、気がつかないのは本人ばかり。そして、その3人が全員、動きが怪しく妙に体をくねられるところがおかしくて、ここまでデフォルメが過ぎると愉快だった。川崎敬三はひたすら「気持ち悪いよ〜」という感じだったけれども、左幸子の曲者ぶりは面白かった。こういうあやしげな役を演じると、不思議な味わいを醸し出す左幸子なのだった。

せっかくの若尾文子特集だけれども、あんまり若尾文子は魅力的に映っていなくて、前作の『最高殊勲夫人』とは大違い。増村映画での過渡期だったのかも。佐分利信とか中村伸郎とかが出て来るとそれだけで嬉しいので、その点ではよかった。「佐分利信鑑賞映画」の様相を呈していた。佐分利信の持ち味がいろいろとよく出ていて実によかった。

映画を見ているときは突っ込みどころ満載だったり不愉快になったり思わず笑ったりなのだけれども、ラストシーンがなんだかとてもよくて、妙に心に残っていて、今これを書いているとき、あのシーンのことばかり思い出している。なにがしかの浄瑠璃のラストの文章のような、全体を俯瞰するような、カタルシスのようなものがあった。ハッとするような画面だった。カサヴェテスのとあるショットを思い出した。好きか嫌いかとなると決しては好きではないのだけれども(初期の軽めのは大好き)、増村保造の映画は必ずハッとするショットがある。

原作者自身が映画化不可能と述べた伊藤整の長篇小説を、緻密な構成で見事な群像劇として映画化。名優たちの競演を通して、現代社会の人間の心に宿る空虚を鋭く描き出す。(チラシ紹介文より)