歌舞伎座一幕見

このところ早起きなので時間がたっぷり、今日も朝っぱらからペラペラ本をめくった。昨日図書館で借りたばかりの武智鉄二の「『風』の論理」、じゃなくて「『風』の倫理」が収録されている、『歌舞伎の黎明』を繰った。まずは主に六代目菊五郎関係の文章をいくつか読んだ。《歌舞伎劇に於て一旦芸の正しい伝承が絶えてしまって、それが再び六代目菊五郎に至って復活した》時期を、彼が2度目の新三を勤めた大正4年7月の帝劇公演、家主を勤めた松助の教訓で天啓、としているくだりにジーンとなったりする。それにしても、いろいろな意味で、今まで武智鉄二を読まずして戸板康二を読もうとしていたのはずいぶん怠慢だったなあと思う。

桂文楽の所演についての、「『心眼』は友右衛門と一緒に聞いてね。人力が出るから明治15年頃かなと云っていたのだ。目が明いてからの杖の扱い方、仲見世へ入ってから雑踏を感じさすね。俄に目が明いた人が雑踏の中に居る感じね。杖の持ち方を変えて…」、「『心眼』を聞いて悟ったのですが、盲人の女房というのは、涙をかくすときは声でかくすのですね」などという発言が面白かったのでメモ。

……と、朝っぱらから熱くなっていたところで、ふと、昨日は図書館で『弁天小憎』の黙阿弥の脚本を探そうと思っていたのにうっかり忘れてしまったことに気づいてがっかり。で、別のことを思い出して、森銑三の本をちょっとめくろうと岩波文庫の並んでいるあたりを物色してみると、なんと! 黙阿弥の『弁天小憎・鳩の平右衛門』があるのでびっくり。こんな本が部屋にあったなんてちっとも知らなかった。「りぶる・りべろ」300円という値札が貼ってあったから、過去にこのお店で買ったものらしい。全然記憶にない。しかし、読みたいなあと思っていた本がぽろっと手元に転がり込むなんて、まさしく天の恵みだ。こうしてはいられない、喫茶店でコーヒーを飲みながら岩波文庫の『弁天小憎』を読むとしようと、いそいそと外出支度を始めたのだった。

  • 四月大歌舞伎・『白浪五人男』「浜松屋」「蔵前」「勢揃い」「屋根」「山門」「土橋」(歌舞伎座一幕見)

日曜日の観劇のあとあらためて国立劇場の上演資料集のコピーをじっくり熟読したりして、さらに再燃していたところで黙阿弥の脚本を読んだことで、猛烈にもう一度見たくなって、走れ! 歌舞伎座と、暑いなかを本当に走って歌舞伎座へ行った。はあはあ。なんとか一列目に座れて、ホクホクと「浜松屋」から最後までを再見。

日曜日に「浜松屋」で頭が投げる豆絞りの手ぬぐいといった小道具使いにワオ! と興奮していたのだけれども、あとで戸板康二の『歌舞伎ダイジェスト』を見ると、しっかりと豆絞りの手ぬぐいについて大きく言及されていて目が覚めるようだった。四代目源之助が始めた段取りだったとか、そのあたりの役者の工夫が実に面白いなあとあらためて興奮。今回の見物では、弁天小憎の煙管づかい、勘九郎のキリッキリッとした煙管の動かし方をじっと凝視。弁天小憎の名乗りが終わったあとで、南郷力丸の名乗りになる、そのときの弁天小憎の手ぬぐいの扱い方とか、実に面白かった。あらためて見てみるとやっぱり、勘九郎三津五郎のコンビネーションがとてもよくて、三津五郎の南郷で勘九郎がさらに輝いて、そこに仁左衛門が加わることでビシッと引き締る、そんな舞台を堪能。

3階席の利点を活かして、花道になると下座音楽に精神集中。弁天小憎と南郷力丸の花道のときに、新内風の音楽になることで、夜がふけていくなあという感じ、時間の経過がじんわりとしみじみと伝わってくる黙阿弥の舞台の時間経過がいつも大好きだ。五人男が花道に順繰りに登場するときの下座にも一生懸命耳をそばだててみたのだけれども、客席のざわめきで全然聞こえなくて、でもそんな客席のざわめきに思いっきり共鳴で、むやみに胸が躍ってしょうがなかった。しつこく手ぬぐいに注目してみると、「勢揃い」で南郷力丸だけがほかの4人みたく肩に乗せるのではなくて首に巻いているのはなぜだろう。前に遡って、「蔵前」で日本駄右衛門が正体をあらわして、弁天小憎と南郷力丸が登場して、下手に二人並んで座るところの足の組み方とかの姿勢が段階段階で変わるところも面白かった。

そして、やっぱり極楽寺の屋根の上の弁天小憎の立ち廻りがしみじみ胸にしみた。この独特の下座が実にいいんだなあと思って、あとで調べてみたところ「どんたっぽ」という合方と鳴りものを使っているのだそうで、これは『義経千本桜』の小金吾の立ち廻りと同じ、ということを覚えた。3年前の国立劇場の通しのときの新之助の小金吾の立ち廻りに見とれて、わたしのなかの記憶に残る立ち廻りナンバーワンだったけれども、これに今回の勘九郎も加えたい。

渥美清太郎が《序幕から切まで、錦絵美で埋まった狂言、こうしたものは、通し狂言で出しても、一部の物語の面白さ以外、大した効果もあるまいと思うが、あまりに月並なコマギレ芝居続出の折柄、観客への刺激には役立つと思う。》と書いていた通りに、大いに刺激を受けた今回の『弁天小憎』通しであった。ああ、面白かった!