休日日記

早起きして部屋の掃除を大急ぎで終わらせてさっさと外出。青い空でよいお天気だけれども空気がたいぶ冷たくて、このところ暑かったのでかえって嬉しい。よい気分で阿佐ヶ谷で出かけて、映画館でモーニングショウ。中村登の『土砂降り』を見た。朝っぱらから辛気くさい映画を見てしまったけれども、映画手法的には見どころは大いにあってよかった。いそいそと原宿へ移動して、小林清親の展覧会のあと、人と会って遅めのお昼ご飯。「たいそう閑雅な食慾である」といった感じで曇り空の下でのんびりとくつろいだあと、お店を何軒かめぐって、ちょこまかと日用品の仕入れ。美味しいコーヒーを飲んでのんびりしたあと、とあるお店でぽろっと高い買い物をしてしまって、帰宅後の夜ふけ、ひとりで反省会を開く。こうなったら黄金週間は自宅謹慎ということにしようかな、謹慎して何をしよう、そうだ、昨日買った本を読めばいいんだなどと思いながら、アルゲリッチシューマンを低音量で聴いた。

映画が始まって、線路の近くの「温泉宿」が映り、そこの家族の描写が始まる。お役所につとめるしっかり者の姉に、大学生ののんきな弟、高校生のおしゃまな妹がいて、沢村貞子が宿を切り盛りしている。ここはどのあたりなのだろう、千住かなどこかなと思いつつ見ているうちに、だんだん家族の状況が明らかになってくる。沢村貞子はいわゆる「二号さん」で父・山村聰は週に一、二度訪ねてきて、沢村貞子親子はなかなか繁盛なご様子の「温泉宿」を経営することで今まで生活してきたらしい。「二号」「連れこみ宿」といった猥雑なイメージとは裏腹に、3人の子供はみな父を慕っていて、家族はとても仲良く暮らして、今までこれといった屈折もなくまっすぐに育ってきたらしい。そんな「家族の肖像」が丁寧に描写されていてそこがまずはとてもよかった。

姉の婚約破綻で状況が変わる。岡田茉莉子は同僚の佐田啓二と恋仲だったが、婚約するまで家族の本当の状況を話せないでいたところ、佐田啓二の母・高橋とよが「温泉宿」を訪ねてびっくり仰天、母一人子一人の固い家庭で育った佐田啓二であったので当然のように破談になる。……とまあ、ここから先、ストーリーがダイナミックに展開し、傷心の岡田茉莉子は家出して2年後、舞台はいきなり神戸、なんと女給になっていた岡田茉莉子なのだった。なにもそこまで自暴自棄にならずにほかに方法はなかったのだろうかと思うが、まあしょうがない映画だから(そもそも「温泉宿」以外に方法はなかったのだろうかとも思う)。そこに今は結婚して子供もいる佐田啓二が訪ねてくる、なんと彼は汚職事件で警察に追われる身、ひかげ者のように身を寄せ合う二人なのだった、と、この先どうしようもない腐れ縁的なありがちな展開となって、結局東京に舞い戻ってくるふたり、というふうになる。

と、岡田茉莉子佐田啓二の描写はなんだかなあと見ていて辛くなるばかりなのだけれども、まわりの状況やそれをとりまく人々を丁寧に描写する典型的な松竹調がとてもよかった。いわゆる「小市民映画」的なちょっとした生活描写がいい。父と母を二人きりにさせてあげようとわざと遅く帰る兄妹や、沢村貞子のちょいとコミカルな弟夫婦といった脇役、「連れこみ宿」に登場する奇妙な面々、沢村貞子の弱さを秘めたお母さんぶり、飄々としつつも状況を冷静に受け入れて諦念をもって生きている実は賢い兄、自分たちの生活をとりまく「世間」の目といった不如意のことはかまわずに仲良く穏やかに暮しているように見えるけれどもちょっとしたことがきっかけで現実にぶちあたって落ち込んだり、などなど、丁寧な生活描写が目白押しで、岡田茉莉子佐田啓二だけだったらどうしようもなさ加減だけが浮き彫りになってしまっただろうけれども、「家族の肖像」やそこをとりまく日常描写が加わることで、より俯瞰的になっていて、そこがとてもよかった。タイトル通りに「土砂降り」のときに事件が勃発する展開もよくて、二人の結末があって、ふつうの映画だったらその結末の時点で終了となりそうなところだけども、もうちょっと映画は続く。そのもうちょっと続くあたりがとても納得のいく結末で、そう割りきれたものではないだろうという沢村貞子の感情もきちんと描写されつつもよい方向に収斂していって、救いのあるラストがよかった。

「連れこみ宿」「二号」といった世間の偏見とは裏腹に家族4人はまっすぐに生きてきたということは映画を見ている観客は知っているけれども、当然だか映画の登場人物はそんなことは知らないからどうしても偏見にとらわれてしまう。その偏見の被害者とも言うべき岡田茉莉子だったけれども、最後の最後にはやっぱり世間の偏見どおりの行動をとって自滅してゆくという展開、こういう展開は、増村保造の『清作の妻』における若尾文子と同じパターンだ。

岡田茉莉子はわりと好きな女優なのだけれども、よいときとそうでもないときの差が結構あって、今まで見た好きな岡田茉莉子というと、なんといっても『秋日和』と『秋刀魚の味』の岡田茉莉子が大好き。小津安二郎は女優づかいが実にうまい。川本三郎さんが岡田茉莉子のことを「コメディエンヌ」として捉えていたようにちょっとコミカルな役がとてもいい。2年前に中村登特集上映が三百人劇場で催されたときに見た『河口』の岡田茉莉子もとてもよかった。元「2号さん」が手切れ金をもらって自活していくというストーリーで、屈託のないアッケラカンとした役柄を演じるととてもよくハマって実にかわいらしくて魅力全開。中村登というと『集金旅行』でも岡田茉莉子をつかっていて、魅力をよく引き出しているように思った。今回の『土砂降り』も前半の役所づとめの岡田茉莉子がとてもかわいくてよかった。2年前の特集上映のときは、後半の清水宏島津保次郎の方に目がくらんでしまって、中村登はあまり見られなかったので、この先ちょいちょい見てみたいと思っている。俳優というと、山村聰がとてもかっこよくて目の歓びだった。どうも佐分利信とか山村聰とか、昔の映画俳優の立派な外見につい見とれてしまう。沢村貞子もよかったし、おしゃまな妹の桑野みゆきもかわいかった。

連れ込み旅館の女主人とその子供たち。母が妾であるために、長女の結婚話が破談になって…。断ちきれぬ恋、親子の背中合わせの愛情を描いた異色作。岡田茉莉子が宿命的に不幸な長女を熱演。(チラシ紹介文より)

展覧会メモ

とある落語会で喜多八さんの『大川の隠居』という、鬼平隅田川の船頭が登場する新作落語を聴いて、クーッ! と大感激で喜多八さんにシビレまくり、すっかり惚れてしまったことがある。その喜多八さんの高座を聴いているときしみじみ思ったのが、この感覚、小林清親の版画を眺めている瞬間みたいだなあ、ということ。勝手な思いこみではあるけれども、なにがしかに接したとき、「清親の版画を眺めている瞬間みたいな感覚」と思うことがよくあって、その感覚はもうたまらないものがある。

今回は本当に清親の版画をまとめて見物する機会がめぐってきて嬉しかった。原宿の浮世絵美術館はひさしぶりだった。散歩の折にチラッと立ち寄るのがいかにもぴったりで、たのしかった。

清親はとりわけ夜の東京を描いた絵がとてもよくて、全体が濃紺の色彩のなかで微妙なニュアンスで光と闇とが交錯している、その「微妙さ」が清親ならではでどれもこれも眺めて幸せだった。谷中の天王寺の闇夜の蛍、浅草蔵前の夏の夜のガス鐙の下の人々のシルエット、夜の仲見世売店の光とそこに映し出される群集などなど、いちいち書いているとキリがないくらい目の歓びの目白押しだった。御茶ノ水橋着工以前の神田界隈を描いた絵ではこの地のハイカラさを廃して江戸以来の水辺の美しさに着目しているところ、真っ暗闇を描いているところにもなるほどなあと思った。つい戸板康二の『芝居名所一幕見』を思い出してしまって、いろいろと類推してたのしかった。絵の構図もなんとも見事で、特に雨のときの傘の描かれ方が印象的。向島の花見の絵では歌舞伎の世話物の通行人を見ているようでウキウキだった。

開化の東京ということで、新橋ステンションの絵、ここでも雨の夜が描かれていて傘と提灯とが点在していてそこからもれる光の加減が見事。二重橋を描いた絵では、馬に乗っている兵隊さん(だったかな)と子供とが一緒に描かれている。兵隊さんはいかにも明治のハイカラさという感じで、子供は落語の出てきそうな江戸のふつうの子供、両者が同じ画面に収まることの妙味が見事で、線や色の感じも実に美しかった。有名な「東京新大橋雨中図」ではパーッと河の風景が全面に描かれていて、その端っこに蛇の目傘を持った女が歩いている。裾から襦袢の赤がのぞくという色遣いと構図が本当にも見事なこと。

それから大収穫だったのが、今回初めて、清親のポンチ絵を見ることができたこと。ビゴーの風刺画の影響下にあるとのことで、ビゴーに思いが及ぶのもたのしくて、北斎漫画や河鍋暁斎のことも思い出した。清親によるポンチ絵の数々はまさしく落語を聴いている感覚でニンマリの連続。開化の東京のカルカチュアで、麻布永坂の良家の子女による歌会の様子などなど、そこにあらわれる人々の生活描写も実にたのしかった。